鉄棒だけの贅沢な広場で遊ぼう!
高崎亀井邸跡児童公園の特徴
ブランコと鉄棒のある広い空き地が魅力です。
空き地には遊具が鉄棒しかないシンプルさが特徴です。
のびのびと遊べる広場で自由な時間を楽しめます。
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鉄棒しかない。💧公園とは言え、囲われた空き地風。
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| 名前 |
高崎亀井邸跡児童公園 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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ブランコと鉄棒があるだけの広い空き地です。この空き地には、江戸時代、津和野藩主亀井家の分家である「高崎亀井家」のお屋敷がありました。高崎亀井家は、多湖真清(たご さねきよ)を祖とする家系です。多湖真清は、2代藩主 茲政(これまさ)が幼少で藩主になったために起こった内紛(津和野騒動)を主導でおさめ、家老の地位を確立しました。のちに亀井姓に改め、享保5年(1720年)この地(高崎)に屋敷を移したため「高崎亀井家」と呼ばれるようになりました。津和野城下からまっすぐ南下してきた道は、津和野街道と山陰道(長州街道)です。ここ、高崎亀井邸の角で2つの街道は分岐します。左折する道が津和野街道、直進する道が山陰道(長州街道)です。津和野街道。津和野城下→六日市宿(島根県吉賀町)→大原宿(山口県錦町)→津田宿(広島県佐伯町)→廿日市(広島県廿日市市)に至る街道です。藩主が参勤交代で通った街道です。廿日市(はつかいち)から瀬戸内海を海路で大坂まで行き、大坂からは東海道を陸路で江戸まで行ったそうです。山陰道(長州街道)。現在の山口県に向かう道です。徳佐、山口を経て小郡に至ります。2つの街道の追分けにあたるこの場所。高崎亀井邸は、防衛拠点にもなりうる施設だったと考えられています。