歴史の息吹感じる三加和の遺構。
肥後神尾城跡の特徴
古い案内看板が印象的で歴史を感じられる場所です。
筑後南関三加和に囲まれた歴史的重要性を持つ遺構です。
菊地市の城趾との関連性が興味深いと多くの訪問者が語ります。
菊地市の七城町にも同じ名前の城趾があります。こちらの城趾は別名…大田黒城・神の尾城等とも呼ばれていたようです。古い説明板やWEB情報によると小高い丘の山頂に高城と言われた本丸跡があり他に二の丸跡・三の丸跡…又、堀切に古井戸と土橋があるそうですが、大雨による土砂崩れや雑草等で場所が確認出来ませんでした。城趾の説明板のある場所は丘城の麓になり「大田黒熊野座神社」の石段参道の入口です。神社に行く車道もあります。車道の途中に石段がありその先はお墓で情報では大友氏滅亡後に加藤清正公に使えた吉弘正久以下五代の墓所だそうです。
国衆一揆までは案内板参照筑後南関三加和は大友・龍造寺・島津に囲まれ非常に不安定な地域だったようだ。国衆一揆後、加藤清正が肥後に入る際には吉弘統幸の息子と思われる吉弘加兵衛(正行)がこの地に知行を得、細川氏が入って以降も継続してこの地に残ったとのこと。南東に代々の墓地が残っているそうだ。
| 名前 |
肥後神尾城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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古い案内看板しかなく遺構などははっきりとは確認できませんでした。国道443号側から登り口があります。