九重連山と朝陽の絶景。
ひねもす丘の特徴
小高い丘からの眺めが最高で、訪れた人を幸せにします。
自然豊かな場所で、周囲には電線がない開放的な景色が広がります。
見晴らしの良いエリアで星空撮影を楽しむこともできる特別なスポットです。
4月11日仲間5人とツーリングで立ち寄りました。素晴らしい景観で、ログキャビン風のハウスも洒落ていて、美味しいコーヒーとお菓子をサービスで戴きました。ベンチに座って景色を見ながら飲むコーヒーは格別で、ゆったりと時間が流れて、心も身体も癒されました。また、皆で訪れたいと思っています。
九重連山の大展望。素晴らしい展望台です。ここはプライベートガーデン。駐車場も無料。4月から11月までの水曜日から日曜日まで、11:00から15:00、ログハウスでコーヒーのサービスがあります。
12月9日に行きました。初めてです。見張らしはボチボチ良いです。ここは夏が良いと思う。涼しいかも。無料の駐車場はあります。自販機はありません。トイレもないです。あまり人がいないのでのんびりするには良さげな場所です(*^^*)
11号線沿いのミルクランドファームで極上アイスを食べたあと車で登りました。九重が見渡せる九州の雄大さを感じれる穴場です。
くじゅう山系のシルエット 朝陽が昇り 夕陽がしずむ。 夜のとばりが降りると満天の星 流星が飛び交う 飯田高原随一の場所 ハートブレイクした時、一日中ぼーっと優しく受け入れてくれるところ (オールドボーイスカウト)
私邸を解放して自由に散策できる丘です。丘の上に一件お宅がありお茶やアイスコーヒーなどを出していただきました。途中若干道が狭いところもありますがなかなかの穴場でした。
手入れされてて綺麗な所ですボーッと景色を眺めてました。
はんだ在住で以前からこちらの事はよく耳にします。以前から気になっていた事を少し書かせてください、ボランティアという事ですがタダだからボランティアと言うことでしょうか、そちらに来られた方から「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と言われたり時にはおみあげをもらったりして自己満足する、十分な対価だと思います、そこに来られる方のほとんどは交通手段がありコーヒー代程度など困っている方ではないのではないでしょうか、ボランティアとは本来、本当に困っておられる方たちに手を差し伸べている方の事を指す言葉ではないでしょうか、さらにコーヒーなどの販売を含めて生業にいておられる方たちの事を想像したことは無いのでしょうか?地元の若い方たちとよく集まって話をします、カフェがしたいという方もいますし現在経営されている方もいます、移住希望者の方々も先日6組ほど来られ相談を受けました、皆さんこの地でどうやって生計を立てていこうかという事を当然まず悩んでおります、私も10年ほど前より小さなお店ですが営んでおりますが「今日は1人来てくれたからボウズじゃないね」とよく夫婦で話をします(まあこれは私たちの営業努力不足ですが)全国的に言えることでしょうが23年前この地に移住をしたころに比べ2千人近く人口も少なくなりました、飯田高原は本当に素晴らしい所で老後街へのユーターンも随分考えましたがここで生涯すごそうと決めました、先生にもいつか若い方たちの事など相談しようと何度も考えましたが先生のお人柄かいつも口には出せません、こう言うかたちにさせていただくのもいかがなものかと考えましたが、そちらに来られるボランティアや来客の方々にも少しだけ考えていただきたいと思い投稿させていただきます。
素晴らしい景観。夜空も感動するそうです。ひねもす丘を開いた方は、動植物と自然に造詣が深くとても素敵なご夫婦。ススキの残し具合も良いですね。何度も訪れ、新しい発見をしたい場所です。
| 名前 |
ひねもす丘 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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初めての訪問。「絶景のひねもす丘」と看板があり行ってみることにしました。駐車場に着くとびっくり!!九重町一の絶景でした。くじゅう連山、飯田高原に涌蓋山。美しい山々の景色。山の天気は変わりやすく生憎天気が曇りだったので涌蓋山全体は見られませんでした。駐車場からすぐログハウスが見えます。中に入ると快く迎えていただき、コーヒーと菓子が無料でいただけました。この太っ腹なおもてなしは他ではありません。真の豊かさに感動しました。大分の高級住宅地·中島のマダム2人が3年前から運営されていらっしゃるようで金曜日にお見えになられるそうです。他はボランティアの方々が対応されてるようです。ログハウスは10時から15時まで。ひねもす丘は24時間開放されています。飯田高原(大分県九重町)の唯一のお医者様である、野瀬善明さんがログハウスを建てられたようです。飯田高原より以前は九州大学の教授をされ退官された後当地へ。小学生の時に既に医師を目指し若い内は医学の研究を、年老いてからは無医村に行くと決めていたそうです。素晴らしい人生を賞賛します。