天椅立神社で千年の神々と出会う。
天椅立神社の特徴
伊邪那岐大神様と伊邪那美大神様を祀る神社です。
階段を登ると立派な建物が迎えます、歴史を感じます。
吉野川北岸の河岸段丘上に位置し、古い由来があります。
天椅立神社(あまのはしだてじんじゃ)。徳島県三好郡東みよし町昼間宮内。式内社(小)天椅立神社論社、旧郷社。【祭神】伊邪那岐命 伊邪那美命資料によると、田園よりも一段高く、石垣の上に南向きの境内がある。その石段では、昭和29年(1954年)の台風で吉野川が洪水を起こした際、12段目まで水が来たという。境内中央に社殿があり、後方に本殿がある。荒神社・地主神社・社幣能神社など四つの小祠が祀られ、男根を象った陽石が安置されている。創祀年代や由緒は不詳。近世までは、羽津明神と称していたという。『三好郡誌』によれば、現在、宮内と呼ばれている地域すべてが境内だったという。当社南100mの地を鳥居と呼び、実際に鳥居の沓石があった。境内には松や樫の巨木が多かったが、社殿修復などのために伐採されたとも。「あまのはしだて」といえば、天橋立で丹後、現在の京都のものが有名。当社名は同音異字となる。「あまのはしだて」は高天原に通じる梯(かけはし)であり、あまのはしだて神はそれを神格したもの。丹後の天橋立はそのような意義のある古社などはない。また、「あまのはしだて」神社の名は、『延喜式』神名帳にわずか一社、阿波国美馬郡だけ。そのため、当地が高天原であるか、あるいは高天原に接する地域、または高天原と何らかのアクセスができる地であることを示す、という説もある。江戸時代初期の慶長11年(1608年)12月13日に社殿造営の記録が残る。明治初期、当社神主だった近藤忠直により式内社と提唱された。それに伴い、明治3年(1870年)11月、現社号に改称し、徳島藩より5石の初穗米が奉納された。明治4年(1871年)、郷社に列し、明治40年(1907年)5月には神饌幣帛料供進社に指定された。御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命。例祭は10月16日。当地から東80-110mに京伝遺跡がある。弥生時代から古墳時代にかけての住居跡。円形方形竪穴式の住居跡2ヶ所、土壙18ヶ所などが検出した。やはり当社の西南、近くには弥生時代前期末の遺構から阿方式土器が出土し、愛媛県との関係を考える上で重要な遺跡として知られた大柿遺跡もある。なお、式内社「天椅立神社」の論社は他に、当社から北西2kmほどの地に天戸八坂神社がある。とあります。
ここが、京都の有名な天橋立神社の元社であろうとの言い伝えがあるとの事。実に実に興味深いです。
本殿裏左右、木造の細工が印象に残ります。拝殿右手に祀られていた白いスベスベな石に同行者は心惹かれたようで、長いこと見てたけど手を伸ばしかけ、「触ったらアカンな🐤」と。
初めて参拝させてもらいました、伊邪那岐大神様、伊邪那美大神様、構内広く、立派な建物、また来ます👋
吉野川北岸の河岸段丘上に鎮座する神社です。近くには弥生時代の灌漑遺跡もあるので、段丘上に居住地を設営し、その下の湿地で稲作を行っていたことがうかがえます。この神社から見える南の河原が水田化されるのを見守っていた神社なのかも知れません。
階段登ると立派な神社ですね。境内は広く落ち着きますね。檜ヒノキの根元が生命力パワーを感じますね。立派な檜ヒノキがありますね。
三好市にある神社。昭和のジェーン台風で参道の12段まで吉野川が氾濫したとの事でした。社殿は立派なものです。
三好町史によると1100年以上前には既に建立され、由来も古く権威の高い神社となっている。南に広がる田園地帯には弥生時代の稲作遺構や住居跡が発掘されている。神社はその田園地帯を一望できる高台に建てられ、古代から地域の守り神となっていることを感じられる。
天椅立神社あまのはしだてじんじゃ徳島県三好郡東みよし町昼間3260祭神伊邪那岐命伊邪那美命旧住所は阿波国美馬郡(みま)ですがこれは福岡県三潴郡(みづま)からの移住を示していると思われます周辺は弥生時代遺跡が集中これも九州からの移動と考えられます祭神は地元の地主神と思われます。
| 名前 |
天椅立神社 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「東みよし町:天椅立神社」2025年12月にバイクツーリングで立ち寄りました。洪水記録 天椅立神社 石段(十二段)碑がある神社です。天椅立神社は、吉野川北岸の集落を見守ってきた古社です。社名は「天の椅子が立つ地」、すなわち神が降臨する神聖な場所を意味するとされ、古くから地域の信仰を集めてきました。吉野川の度重なる洪水とともに歴史を重ね、境内には水害の記憶を伝える洪水記録碑(石段十二段碑)が残されています。自然の脅威と共生してきた人々の祈りが今も息づく神社です。