玉鬘神社を訪れ、神仏習合の歴史を感じる。
鍋倉神社の特徴
与喜天満神社から長谷寺への道中に位置している神社です。
玉鬘神社の創祀地として、歴史的価値がある神社です。
大国主神の娘、大倉姫神を祀る重要な場所です。
與喜天満神社から長谷寺までの道中にあります。
同じ山の中には神仏習合発祥の地だとして、玉鬘神社創祀並び延喜式内社鍋倉神社が再興されています。再興したとあるが、鍋倉神社は小さな祠がぼつんと草木の茂みに隠れているだけのまだ寂しい状態でした。
長谷寺さんより、お散歩しながらいくつかの神社さんを参拝できます。
與喜天満神社の兼務社で、大国主神の娘である大倉姫神を祀る。のぼりに書かれてる文言によると、創建自体はかなり古いようですが、今の本殿が建てられたのは2018年とかなり最近です。社殿へ向かう道中に、屋根のついた建物があったのですが、手水屋でも造るのでしょうか?
| 名前 |
鍋倉神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
堝倉神社(なべくらじんじゃ)。奈良県桜井市初瀬。式内社(小)、旧社格不明。【祭神】大倉比賣神大倉比売神=下照姫命:大国主神(『日本書紀』では顕国玉)と多紀理毘売命の娘で、阿遅鉏高日子根神の妹。資料によると、堝倉神社は與喜天満神社と素盞雄神社の間にある鍋倉垣内と呼ばれる地に鎮座しています。明治四十一年に素盞雄神社に合祀されていましたが、平成三十年に鍋倉神社として復興されています。伴信友の神名帳考証には、與喜天満神社の上の山にあったことが記されており、古くは與喜山(天神山)の山上に鎮座していて、磐座がご神体であつたようです。素盞雄神社の社伝では、御祭神は大倉比売命、與喜天満神社の案内では下照姫神とされています。オオクラヒメなる神は御所市古瀬の「大倉姫神社」、御所市戸毛の「大倉姫神社」、吉野町南国栖の「大蔵神社」などで祀られています。『延喜式』神名帳に「大倉比賣神社」の註に「一名雲櫛社」とあり、物部系の史書『先代旧事本紀』は下照姫命は雲櫛社に坐すと記しています。このことから、オオクラヒメとはシタテルヒメと同神であるとされています。ただ、オオクラヒメなる神を当社に祀る理由は不明で、ナベクラの地名および社名は明治まで残っていたものの、当社の奉斎氏族は詳らかでなく、その神格も明らかでありません。推測するならば、その立地から式内社「長谷山口神社」と同様に背後の與喜山(天神山)の神を祀っていたとも思われ、或いは與喜山に散在する岩石を磐座として祭祀していたのかもしれません。とあります。