圧巻!
石船神社(天忍穂別神社)の特徴
香南市の指定文化財で、訪れる人が少なく静かな環境が魅力です。
車でのアクセスはやや難しく、軽自動車推奨の狭い道が続きます。
圧巻の193段の石階段があり、本殿や歴史を感じられる場所です。
香南市の指定文化財にしては訪れる人も少なくあまり整備されていない。地元の人もほとんどその存在を知らないようで探すのに苦労しました。神社の700メートル手前で道しるべを見つけたときはほっとしました。ここから神社までは後半舗装もされてなく、徒歩となります。物部氏の始祖がまつられているとのことで石舟とは流星のことであるとの説もあります。
石段下まで車の乗り入れ可能だが、軽自動車でないときつい!自分は3ナンバー車で登れましたが…。神社は神秘的でよく整備されており、地元のかたが大事にしているのがわかります。
車でも一応行けますけど、まず道が分かりにくいのと狭い。そして、例の如くグーグルナビは嘘を付き民家に誘導します。一箇所だけ小さな看板があるので、それを目印にして近隣住民に場所を聞いたほうがいいです。神社自体は、手入れをされており立派な神社です。
石段に星4つです😊 えらかったあ😅 本殿は囲われていますが、全体に、かなり大きいです。道が狭くなったので、車を置いて歩いて来ましたが、駐車スペースがありました。帰りに、縁起の看板を改めて読んでみたら、本殿の裏に石舟があるとのことでしたが、おんちゃんは、この石段を、もう一度上がる馬力はなく、諦めました🐱
『古事記』において国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命とイザナミ(伊耶那美命との間に生まれた最初の神。「わが生める子良くあらず」、どういった子であったかは不明。(徳島淡路ICに点有り)後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測を生んだ。あるいは、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある。(-`_-´#)異形で…悪かったな!ゆえに三種の攻撃的神器を持つ正統なる神の後継者には そぐわず、母の想いにより『十種の神宝』を託され日の本に降臨系。(母が与えた磐船は宇宙救助艇であり十種神宝とはAEDを含む救命器具を言う)興味があれば「レイライン」で検索すればよい。
石階段が193段あり圧巻です!ただ、危険ですのでスニーカーなどの靴では行かない方がいいです。入口までの車道の状態も良くないです。本堂横にある大木も見る価値があるかもしれません。景観:★★交通便:★マニア度:★★★★★お勧め度:★★個性度:★★★★★総合:★★★※観光対象にしていいかもしれませんが、行くのが大変。
土佐国・香美郡 天忍穂別神社(あめのおしほわけじんじゃ) に比定される式内社。御祭神:天忍穂耳尊 (天孫ニニギの父)、相殿:饒速日尊 天孫の饒速日命が石舟で山川のスミガサコの山の峰に到着したという伝承に基づき、鎌倉時代以降、石船神社・石舟神社と呼ばれるようになったという。 神社の伝承では記紀とは異なり、饒速日命は天照大神の孫、天忍穂耳尊の子で、河内、大和に天降った後に、父神の天忍穂耳尊を慕って土佐の国へ来たとなっている。
石階段が193段あり圧巻です!ただ、危険ですのでスニーカーなどの靴では行かない方がいいです。入口までの車道の状態も良くないです。本堂横にある大木も見る価値があるかもしれません。景観:★★交通便:★マニア度:★★★★★お勧め度:★★個性度:★★★★★総合:★★★※観光対象にしていいかもしれませんが、行くのが大変。
式内社 饒速日命の訪れた地。
| 名前 |
石船神社(天忍穂別神社) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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グーグルの案内より1キロ程西の集落の奥の道から進む 集落の入り口に看板がある長く続く石段はコンクリートで補修され真っ直ぐにと続く昔天照大神のお孫様で饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、石舟に乗り大空を天かり給い、山川のスミガサコの山の峰にお着きになりました。饒速日命は、まず河内の国のある山にお降りになり、それから大和の国の桃尾山の麓におとどまりになって、やがて父神の天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)を慕って、土佐の国へお着きになりました。土佐へ初めてお降りになったのは、物部川下流の上岡山(野市)で、それから富家村に入られ西川村・長谷の小村・峠の船戸・末延の水船・山川の舟谷を経て、今のスミガサコのお社にお着きになったといいます 『土佐伝説より』地元では天忍穂別神社ではなく石舟様と呼ばれている境内社に棚機神社(通称 千々姫様)があり御祭神として、天忍穂耳尊の妻である栲幡千々姫神を祀る栲幡千々姫神(別名 萬幡豊秋津姫命)は蜻蛉の羽のような繊細な薄い布を織る事の出来る織姫様です。その布を天照大御神に送られたと古書に記される元は社殿の奥の岩窟の中に祀られていた模様社殿の下に石で作られた舟が見られる。