神聖な多祁御奈刀弥の魅力。
多祁御奈刀弥神社の特徴
多祁御奈刀弥神社は諏訪大社の元社として知られています。
建御名方命と八坂刀売命が祀られる重要な神社です。
龍脈が通る場所に位置し、深い歴史を感じられます。
2026.4.9徳島県石井町浦庄に鎮座する神社。式内社。由緒書きによると、長野県に鎮座する諏訪大社は、当地から移ったとし、元諏訪の地とある。吉野川右岸の平地にあり、周囲は田園地帯である。大木が多く緑豊かな境内には、なんと『元諏訪社』と刻んだ石柱が建つ。通常神社に見られる狛犬の他に、人の座像があり存在感あるが、説明書きが無く、何を表しているのか不明。長閑なる場所に佇むお宮が元諏訪?真偽はさておき、江戸時代に、現在の徳島市南佐古三番町に鎮座している諏訪神社が勧請された旨の記載が認められるなど、由緒書きには興味深い内容が刻まれている。駐車場・トイレ有り。
多祁御奈刀弥神社(たけみなとみじんじゃ)。徳島県名西郡石井町浦庄諏訪。式内社(小)、旧郷社。【祭神】建御名方命 (配祀)八坂刀売命【関係氏族】阿閇氏(あべし)資料によると、御祭神は建御名方命。江戸時代になって八坂刀売命を配祀したという。通称はお諏訪さん、あるいは東の宮。『阿府志』によると、高志国造の阿閇氏がこの附近に住み、この地に産まれたという建御名方命を祀った。社伝によると、信濃諏訪郡南方刀美神社(現 諏訪大社)は、奈良時代の宝亀10年(779年)、当社から移遷されたものだという。つまり元諏訪となる。諏訪大社の元宮、諏訪大社の元社という言い方もなされている。阿波徳島藩の歴代藩主蜂須賀家の尊崇が極めて篤く、毎年当社の例祭には参拝または代参した。特に寛永年間(1624年-1645年)、3代藩主蜂須賀光隆が疱瘡にかかった際、当社に祈願し、奇瑞を著したという。その後、参拝の道中、鮎喰川の出水に遮られることがあったため、現在の佐古町諏訪神社に御分霊を勧請したと伝えられる。現在の社殿は享保5年(1720年)の建築と言われる。注連縄が稲わらで作られており、鎌紋となっているのが特徴的。境内の左手の木が柵で囲まれ、木の根元に50センチほどの石が置かれている。「力競石」と呼ばれるもので、建御名方命と建御雷命が国譲りの時に争った石だという伝承がある。とあります。
車のナビでは迷子になった…ツキヨミカフェ、と言うお店の隣に歩道橋がある、そこを入った方がわかりやすいと思う。しばらく進むと大鳥居が見えてくるのでそれをくぐり直進。神社が見えてくる。入ってすぐ大銀杏。下手すると今の時期頭の上に落ちてくる。それもいいかも。
諏訪大社四社巡りの後、元諏訪と呼ばれる神社があるとの事を聞きつけ訪問した。延喜式の神名帳にその名があり、宝亀10年(779年)に阿波から長野県諏訪市に諏訪大社が移遷されたとか。御祭神は建御名方神・八坂刀売神で、国譲りの大国主神の御子神にあたる。出雲から阿波へ至る道筋はみえないが、欠史八代に流浪の戦いが起こり、阿波を経て諏訪湖の畔に行き着いたのでは。多祁御奈刀弥神社はのどかな田園にある小さな社であった。神社の前に駐車場は3台ほどのスペースがあり、社務所らしき建物に人は居らず、訪ねてくる人はいない。境内に入ると清らかな空気に背筋がピンとなるが、妙に心が落ち着く。江戸時代に洪水でお詣りが滞ることが度々なので、当社を分霊し徳島の町に諏訪神社として移したそうで、それ以降は神社の規模が縮小したと思われる。諏訪神社は戦いの神様でなので、武家は特に信仰を厚くした。社から2、300メートル下手には、参道跨いだ白い鳥居が立っているが、周りは民家はなく、田んぼしかない。参道の距離を考えると昔はもっと賑わいがあったのではないかと推し量れる。境内には、諏訪大社下宮春宮の門前にあった力石が同じようにあった。また、地主神を祀ったと思われる五角柱の石塔があり、五穀豊穣を祈願した社日塔だと思われる。ここが元諏訪かどうかの真偽は定かでないか、八坂刀売神は忌部氏の系譜であり、当社は阿波忌部氏のお膝元にある。何とも不思議な多祁御奈刀弥神社であった。
徳島県に佇む「多祁御奈刀弥(たけみなとみ)」は、神聖な雰囲気と厳かな美しさが融合した、訪れる者を魅了する神社です。歴史と伝説に包まれた境内は、神秘的で穏やかな空気に満ちており、参拝者は日常の喧騒を離れて心静かに祈りを捧げることができます。荘厳な社殿と自然との調和が、訪れる人々に安らぎと癒しをもたらすでしょう。「多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社」で、古来の神聖な雰囲気と出会い、心身のリフレッシュを求める旅に出かけてみてください。
多祁御奈刀弥神社(たけみなとみじんじゃ)は、徳島県名西郡石井町に鎮座する神社である。【祭神】建御名方命八坂刀売命創建年は不詳。現在の社殿は1720年(享保5年)に建築された。徳島藩主である蜂須賀家からの尊崇が高く、御例祭の際には参拝・代参していた。1627年(寛永4年)には蜂須賀光隆が祈願し奇瑞を著した。また、蜂須賀氏が参拝の際は、鮎喰川の出水に遮られることがあるため、徳島城から近い諏訪神社に分霊したとも伝わる。【住所】徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1
徳島県名西郡石井町に鎮座する多祁御奈刀彌神社。歴史のある雰囲気を感じさせらる神社です。石井町の親戚の家が近くにあり以前から気になっていたので参拝させて頂きました。ありがとうございました。
歴史ある重要な神社目の前に駐車スペース有り(もちろん無料)滞在時間は短かったけれども、ここに呼ばれました。感謝致します。
多祁御奈刀弥神社たけみなとみじんじゃ徳島県名西郡石井町浦庄諏訪213−1祭神建御名方命八坂刀売命建御名方命は大国主命の子で天孫族の国譲りを拒否、追われて信濃国の諏訪神社に祭祀されている地主神を「追い出し」そこの祭神となった天孫族との戦いの開始がこの地で最後は諏訪であったという。
| 名前 |
多祁御奈刀弥神社 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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多祁御奈刀弥神社は、御祭神として建御名方神とお妃の八坂刀売神をお祀りした神社です。父神は大国主神、母神は越の国の沼河比売(奴奈川姫)であり、古事記の葦原中国の国譲りのくだりで登場する力自慢で有名な国津神です。この天津神との対決で建御雷神と闘い、科野(しなの)国の州羽(すは)海(諏訪湖)まで追いやられ、国譲りを約束した神様です。以前に諏訪大社四社を巡ってまいりまして、またご縁があり糸魚川の奴奈川姫神社にも先日参拝して来ましたので、息子さんが御祭神であり元諏訪と言われるこちらをぜひ参拝しておきたくて、今回訪れました。ナビで案内させるとややこしそうな道を案内されたので、一旦西向きに国道を進み、北へ曲がり田んぼ道を抜けて西から社殿前の駐車場にアクセスしました。駐車場は3台駐車可能です。拝殿は古くてどっしりとした構えです。拝殿前の注連柱の彫りには「萬祚無疆 天地長久」の文字が。意味を調べると、皇位や国家、また天地が永久に続くように物事が長く続くこと、とありました。この石柱には独特な注連縄(しめなわ)が渡してあり、真ん中に藁製の交差した鎌の飾りがありました。さらに調べてみると、これは建御名方神の神紋である「違い鎌」を模して編まれたものだそうです。そういえば交差した鎌の紋は阿波のどこかで見たことがありましたね。建御名方神は武力・武運の神様であるので、境内には力石があります。大きな木の股に置いてある丸い石ですが、説明によると国譲りの時の力比べの石だとか。昔は村の力自慢たちがここに集まったことでしょう。そばには青石で四角に組まれた井戸のようなものもありました。このあたりは吉野川の氾濫原で洪水で神社が浸かる場所です。また後世に藩主の蜂須賀氏の意向で徳島市内へ諏訪神社として勧請・移転してしまったそうですが、やはり元々の神社の佇まいは格別です。神社がある場所から見る広い青空と山々、田植え前の水が滔々と流れる水路など。人々がここで暮らしながら水に敬意と畏怖の念を持ち、神社を大事にお祀りしてきたことが実感できます。今回は純粋に参拝だけとなり、御朱印はいただけませんでしたが、なんだか心が晴れ晴れする気がしました。