南北315メートルの絶景、諏訪原城。
諏訪原城 二の曲輪の特徴
規模の大きい曲輪が魅力的な史跡です。
南北に広がる壮大な景観が楽しめます。
雑草が生い茂るため、靴での訪問をおすすめします。
かなり大きな曲輪です。一体どんな建物が建っていたのか気になります。
南北に大変縦長の広い曲輪。往時はここに何が建てられていたのだろうか?家臣団の屋敷などもあったのかと想像を掻き立てられる。最も南側の部分に複数の馬出が備えられていた。
宣伝されていないようですが、富士山のビューポイントだと思います。
二の曲輪の大きさから、諏訪原城が兵力の駐屯地や物流拠点としての役割を果たしていたことが分かる遺構です。武田勝頼は遠州攻略の後方支援のために築城し、徳川家康は駿河侵攻のための兵站基地(軍の中継点)として使用しました。諏訪原城の東には大井川があり、増水時には兵員や荷駄は渡河できないため、大井川を渡れる時に大量の物資を運んでいたはずです。現在は跡形もありませんが諏訪原城が重要な戦略拠点だった時にはこの場所に多くの兵舎と倉庫が建てられていたと想像できます。
規模の大きい曲輪。ここに何があったんだろう、って考えるだけで白米何杯でも食べられるぐらい良いおかずになるね。
南北にデカイ❗広い❗雑草が全体に伸びているのでサンダルより靴で来た方が良い感じです。
| 名前 |
諏訪原城 二の曲輪 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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二の曲輪は、諏訪原城で最も広い曲輪で、南北約315メートル、東西約75メートルに及ぶ広大な空間を持ちます。諏訪原城は本曲輪を扇の要に見立て、曲輪が扇状に広がる縄張りであることから、江戸時代には 「扇城(おうぎじょう)」 と呼ばれました。その中心を支える二の曲輪は、防御だけでなく兵の集結や物資の集積など、多様な役割を担った重要なエリアだったと考えられています。平成22年度(2010)の発掘調査では、二の曲輪の構造に関する新たな発見が相次ぎました。二の曲輪中馬出へ続く通路は、従来の想定である土橋ではなく、途中に木橋が架けられていたことが判明しました。また、虎口では間口約2.4メートル、奥行約1.5メートルの城門を支えた礎石4か所が見つかり、二の曲輪が堅固な門によって守られていたことが明らかになっています。曲輪内部では、外堀と平行に築かれた幅約20メートルの土塁の基底部や、土を何層にも突き固めて強度を高める 版築 の跡も確認されました。さらに、二の曲輪を南北に仕切る土塁には、人が一人通れるほどの開口部があり、南北の曲輪を結ぶ通路として利用されていたと考えられています。こうした発掘成果からは、諏訪原城が単なる土造りの城ではなく、木橋や城門、版築などを組み合わせた高度な築城技術によって造られていたことが分かります。二の曲輪を歩けば、武田氏が築き、徳川氏が改修を重ねた戦国最前線の城の姿を、今も肌で感じることができます。