椿の御所に伝わる妙悟尼の歴史。
伝 妙悟尼の墓(亀の前の墓)の特徴
妙悟尼は源頼朝公の側室であり、歴史的背景が魅力です。
大椿寺は椿の御所と呼ばれ、特別な場所としての重要性があります。
妙悟尼の墓は、訪れる価値のある史跡として広く知られています。
「妙悟尼」は源頼朝公の側室であり、源頼朝公の亡き後、尼僧となり、椿の御所と呼ばれた別荘跡に大椿寺を建立して開基となっ方です。三浦に伝わるお話しですと、匿われた伏見広綱の家で北条政子の後妻打ち(うわなりうち)をあい、三浦一党の大多和義久の鐙摺の館に逃げ込んだ「亀の前」が妙悟尼のようです。この三浦には、三崎三御所と呼ばれる3つの御所があり、椿の御所である大椿寺、桜の御所である本瑞寺、最後に、桃の御所である見桃寺があり、源頼朝公は三浦党からの招待に事寄せて三崎に居る妙悟尼を訪れたようです。源頼朝公亡き後、妙悟尼が読経三昧の生涯を送ったと伝わっている一方で、妙悟尼のお墓自体は大椿寺にはなく、また、妙悟尼の墓所の場所は伝わっているものの、墓石は奥の卵型の墓石が妙悟尼のお墓とする説、手前の宝篋印塔が妙悟尼の墓とする説があるようで、我が身よりも愛しい方を。。。といった妙悟尼のお人柄なのでしょうか。。。また、人知れず匿われるように残された墓所で、今でも一途な愛を貫いている姿に胸をぎゅっと掴まれたような思いになります。本妻の北条政子とは異なり、人知れず源頼朝公を慕っていた妙悟尼ですので、相応しいお墓とは思うのですが。。。
| 名前 |
伝 妙悟尼の墓(亀の前の墓) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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2024年3月29日に墓参しました。源頼朝の側室であった亀の前ですが、椿の御所で匿われていたと聞きます。頼朝が亡くなってからは、妙悟尼となって大椿寺を開基し、頼朝の菩提を弔ったと言います。大椿寺から少し離れた場所に、ひっそりと御墓がありました。いくつか御墓が並んでいますが、どれが妙悟尼のものか、はっきりはしていないようです。