倉敷の美しい民藝館で、贅沢な時間を。
倉敷民藝館の特徴
倉敷市美観地区に位置する、民藝館ならではの美しい展示が魅力です。
国内で2番目の歴史を持つ、見応えある民芸品が揃っています。
古民家を利用した独特な外観が印象的で、ゆったりとした時間を過ごせます。
入館料1200円ですが、隣にあるギャラリー兼宿泊施設で半額の前売り券が売っていました。建物が蔵で雰囲気あり国内外の民藝品が揃っています。急な階段の昇り降りが多いためバリアフリーとは真逆です。写真撮影は一つの部屋のみ可で他は禁止です。
東京の民藝館が好きなので、先日こちらにも伺いました。大原美術館のすぐ近く、美観地区の中にあって、近辺の雰囲気がとても素敵でした。中国地方を中心とした民芸品の常設展示や、企画展もあり、見応えがありました。思いの外展示スペースが広く、ゆったりと観覧できました。また訪れたいです。
¥1200カード可能。かなり高額。建物が美しい。中はスリッパに履き替える。ほとんど撮影不可。器やかご細工、調度品の展示がメイン。一室だけ写真可能でした。作家さんの陶芸のショップもあります。高額なため、人もあまりおらずゆーっくり静かに過ごせます。
倉敷民藝館都内 駒場の日本民藝館にはよく通ったもので 岡山 倉敷の民藝館はお初でしたので 訪問しました。館内自体は 写真不可なので 館外のみとなります。バンドリ好きの私としては 見た事のバンドリが1つあり久々に興奮しました。 想定イメージより広く 展示ボリューム的に、程々な感じですが、丁度良い感じでした。物量が多く見過ぎて疲れてしまわない感じの適度な感じ。洗練しすぎな現代の機械電氣の工具やろくろを使わずに作られた道具や器は 程よいブレや 歪みを含みつつ 現代の我々の生活で失われてしまった ””これで良い感覚””に満ちていました。 また別展示の機会で訪問してみたいと想います。岐阜の民藝館もまだなのでそちらも ぜひ訪問したいと想います。
米蔵を利用して作られている民藝館。民芸品はもとより、蔵の作りにも注目していました。倉敷のものと外国のものが混ざっているので、それぞれの土地で同じような民藝ができたのか、それともシルクロードを渡って広まったのかが気になって質問したら、答えていただけた。
日本で2番目の民藝館で、多くの民芸品に出会えます。展示説明に文脈がないからただの作品の羅列に感じますが、熱意の中で作られた民藝館であることはスゴイと思います。
他のかたの口コミでは入場料1000円は高いとの声もありましたが、いやいや~満足でした。朝の早めの時間だったので人が少なくマイペースでじっくりまわれました。ステキな色んな椅子もいい具合に配置してあるので座った目線から展示物を見るのも楽しかったです。入場は靴を脱いでスリッパに履き替えます。スリッパは除菌マシーンから出てきますのでなんか安心でした。電子マネーやバーコード決済は使えず現金かカードのみでした。ミュージアムショップではポストカードなどのお手頃のものから器やノッティングなど高価なものまでありました。
美観地区にある地元の民藝館、立ち寄る機会に恵まれました。入口で受付を済ませ2階に上がります。フロアを跨ぐ順路は展示物の属性をより明確に区分けして見れる気持ちにしてくれます。山陰や世界の民芸品もたくさんあり幅広く展示。津軽のこぎん(こぎん刺し)やアイヌの衣などは歴史も含め特に楽しめました。最後は通路(中庭)を出て入り口に戻ります。出口には傘も用意されてました。受付の隣は売店コーナーで色々と販売されてました。普通の雑貨のお店とは違う楽しみを見いだせます。
倉敷市の日本遺産を構成する文化財。
| 名前 |
倉敷民藝館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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大いに楽しませてもらいました。ありがとうございました。下の階に大きな書があり書き留める「働くための物 用が目的私どもの日々のくらしに役立つために親切に作られ、よく働き、永く保つ物、この様な物に美が自らやどる、用即美このような物を用ふる暮らしこそ美しい生活といへる」----チケット買う前にショップをさぁ〜っと確認大山崎山荘とあと万博のところにこれまで行った記憶があるが、なんかテイストが統一されてるなぁと思った。----おどっくさま馬の形しめ縄飾りが皿に乗ってたが館内のあちこちにそれが今日は飾られていた。階段上がった所の展示室の壁にこの おどっくさまが飾られててガラスケースに岡山の民藝が納められてるのは椅子敷きこれは、今回の展示の小笠原虎吉さんの書だと思われる。「真実は雨風の中に在ると云ってもこれを全的に把握することは鋭い直感と深い思索を要するしかもこれを大衆の有るとすることは周到な論理と本明な言葉によらねばならない。吉」その他の展示品備中和紙お餅の花園 花餅酒津堤窯大鉢と器 仁城義勝さん郷原漆器うーん、郷原漆器より仁城義勝さんの作品をが好きだな倉敷ガラス背負篭 韮山市だんがめそうけ岡山県月田日籠白磁ベースの花器寒風春木窯岡山県瀬戸内市牛窓町沖塩明樹により1983年移窯表○真田ミシンで縫い合わせたり、編んだりして帽子や手提げにする羽島焼のスリップ皿廊下に昔の世界の金属用品がある廊下渡った所に、書が掲示記載しとけば良かった。これが?!となり最初の部屋に戻ったのにな。白蓋(びゃつかい)岡山県高梁市なんだか、書き留めてしまった。↓「羽島焼」倉敷の東の郊外にあって昭和21年に始められたものであるが、永い伝統の背景を持つ。小笠原氏大大の窯である。バーナードリーチや浜田庄司の系統を引き、1957年のブラッセル万博万国博覧会ではグランプリを受けた作品は、民芸の本旨に立つ。日用の用具であるから、無駄な飾りや思わせぶりが技巧は捨て専ら、簡素健康な姿をとっているので、生活の便りになるものばかりである。「倉敷の民藝の歴史」日本における民藝運動の発展と倉敷の民藝の歴史には大原家の存在が欠かせません。7代目の当主、大原孫三郎は倉敷紡績の社長を務めた実業家で、大原美術館や農業研究所、中国銀行、倉敷中央病院などを設立、様々な文化事業、社会活動を行いました。1930年から1937年昭和5年から12年、孫三郎は倉敷周辺に残る工芸品の良さを多くの人に広めようと木工品制作や倉敷酒津にある酒津焼の復興活動を支援していました。浜田庄司、河井寛次郎、バーナード、リーチなどの民藝運動率いる工藝家たちが次々に酒津焼の窯を訪れ、制作を先導していきました。孫三郎は活動の中で民藝同人と交流を深めていき、柳宗悦の民藝運動の良き理解者・支援者となってきました。1936年の東京・駒場にある日本民藝館設立のために建設費を寄付しました。そしてその意思は長男総一郎に受け継がれ、1940年頃、父、孫三郎より事業引き継ぎながら柳らとともに交流を続けてきました。このような流れの中で1948年にこの倉敷民藝館は、日本民藝館に次いで国内で2番目に開設されました。「羽島焼について」1946年(昭和21年)小笠原虎吉(1902-1972年)によって現在の倉敷市羽島に開窯されました。虎吉没後はその三女和子と夫の勝康さらに四女常美により継承されましたが、2022年に惜しまりながら窯を閉じました。虎吉は、15歳の頃から西山と甲山の2つの窯で旺盛な生産を行った酒津焼に従事し、その轆轤技術は、酒津焼振興に尽力した、後の人間国宝近藤悠三に、「陶器の轆轤師としては、小笠原さんほどの使い手に出会ったことがない」と言わしめたと伝わります。その技を培ったのは、人々が日々の暮らしに用いる甕から湯呑みまで、大小諸々の形をなす長年の修行でした。まさに無名の職人に徹して、普段遣いの実用品を作り続けるその姿は、民藝の在り方を体現する存在でしたが、民藝同人が倉敷をしばしば訪れ、その工芸品制作を強く後押しする中で、小河原の存在は注目を集めることになります。そして新たな地場産品、創出の機運の高まりの中で大原孫一郎による「倉敷に民藝陶器の新たな窯を」と言う力強い後押しがあり、独立して羽島焼きとして窯を構えることとなったのです。「蹴轆轤師 小河原虎吉人物伝」「ロクロを引くのにお世話になったのが、のちに羽島窯を開いた小河原虎吉さんだった。京都で私たちが使っていたのは、手ロクロだったが、酒津には、足で蹴りながら回す蹴ロクロしかない、そこで私は、小河原さんにロクロを蹴ってもらいながら作業した。回す人と成形する人が別々なのは、なかなか呼吸が合いにくいものだが、小河原さんのロクロはまさに達者で、緩急自在に私の思う通りに動いてくれた。私はこれまで何十年もの間、数えきれないほどの陶工の仕事を見てきたが、陶器のロクロ師として小河原さんほどの使い手には出会ったことがない。近藤悠三「それはただに吾等の技術の師範であるばかりでなく、第一に立派な人であった。ここには、けばけばしい才能の高い建築は立っていない。手入れのされた自負の垣もない代わりに1人の人として引き継がれた大きな生命の木陰があった。一人前の百姓で一人前以上の陶工でそれにも増して1人の人であった」河井寛次郎1933年 工藝32号 倉敷の新業よりこの後、この小笠原さんの作品が下のフロアーのメインの展示会その中で、いいなぁと思った作品を書き留める灰釉彫紋湯呑・茶碗 1953年蓋付丼 1962年→私の好みとしたらこんなもんか?後、辰砂の大ぶりの茶碗も良かった。上の階に上がったら世界の民藝品祭りその中で良かったのは庭先の肉焼きコンロ フランス 1970年代プロバンス地方便利だこれ!