請西藩士の英霊を讃える。
招魂之碑の特徴
戊辰戦争の請西藩士を追悼する招魂碑です。
幕末期の英霊の安寧を祈る特別な場所です。
鹿野山に佇む歴史的な意義深い石碑です。
招魂之碑鹿野山に佇む招魂之碑は、幕末期の木更津請西藩藩士たちの英霊の安寧を願い建立された石碑である。立看板にも記されているが、石碑の表面は、江戸城の方向を向いて建てられているのだという。『招魂之碑』という文字は、旧幕府海軍副総裁、蝦夷共和国(俗称)総裁、更には明治政府逓信大臣等を歴任した榎本武揚の書体である。この碑に刻まれた多くの藩士の中で、一際無念で悲壮感漂う人物の名もある。碑裏側の16名の中の,最後から二番目の「諏訪数馬」は、林忠崇公陣屋出陣の際、遅参や仮病・逃亡等で供奉しなかった臆病風に吹かれた者共も在る中で、重篤な病(結核)を押して杖代わりに槍に縋りながら従軍した忠義の藩士であった。請西藩軍事係の檜山省吾はこう語る。「諸人落涙してこれを止む。聞かず、精忠真に無二の士というべし。」しかし、哀れなるかな、館山来福寺に辿り着くまで房総半島西沿岸を一行と共に従軍した数馬は、益々悪化する病に遂に力尽き、最早これまでと自刃し、亡くなってしまった。請西藩等旧幕府軍勢力は、更に箱根・平潟と転戦し、武士の本懐を遂げた者、戦場の露と消えゆく者もある中で、その志空しく病に斃れた諏訪数馬の無念はいかばかりであっただろうか。明治維新後三十年、藩士たちの魂の安寧を願い建立された石碑は、今も江戸城に向かって、揺ぎ無く聳え建っている。
| 名前 |
招魂之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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戊辰戦争で戦死した請西藩士の招魂碑。