九十九坊跡で歴史探訪を。
長宗我部盛親陣所跡の特徴
栗原山の新しい陣所跡は歴史を感じさせる場所です。
看板が設置されていて、分かりやすさに配慮されています。
名前も興味深い長宗我部盛親陣所跡をぜひ訪れてみてください。
九十九坊跡付近が陣跡と考えられています。登城道はあります。曲輪や土塁などが確認できます。
Google マップに書いてある細い道には車は入れず、自転車やバイクなどなら入ることができるが、すぐにデコボコ坂道になり、自転車で行ける道ではない。バイクなら途中まで行けなくはない。途中の分かれ道で九十九房跡と盛親陣跡が分かれ道になっているので、盛親陣のほうに行った結果、ゴールは同じ場所であった。まっすぐ行くとどうなるのか謎である。なお急な山道なので、小学生以下は危ないであろう。大人であっても、急な山道と落ち葉でかなり危険なので、体力に不安のある方や軽装の方は注意。入り口の看板には徒歩3分と書いてあるが、大嘘で30分かかっても厳しい。
関ヶ原合戦の際には、東軍に与するつもりだったというが、行きがかり上、西軍に。南宮山に陣を敷いたが毛利軍が動かず、戦わずして引き上げた。長宗我部盛親公の陣跡は、栗原山の蓮理の榊があります。
長曾我部盛親陣跡長宗我部盛親は栗原九十九坊跡近くに布陣しました。しかし毛利隊の後方に布陣していた為に動く事が出来ず西軍壊滅後、池田輝政軍や浅野幸長軍の追撃を受けながらも退却しました。
栗原山に新しい陣所跡が設置されています。陣城の遺構も整備されるといいですね。
歴史的な場所なので、もっとアピールをした方が良いと、思う初めて、知りました。
場所が分かりにくい。
わかりにくいですが、道路沿いに案内板があり、そこから突き当たりが清水寺公園の入り口。そこに陣跡の案内と幟が立っています。少し手前にある表示は一旦無視して突き当たりまで行きましょう。砂利道ですが車はここまでは入れます。その入り口手前の表示に従って左に曲がると栗原九十九坊跡と連理のサカキのほうに行きます。獣除けのバリケードを抜けて20〜30分ほど急な上り坂を登ると多くの平坦地(九十九坊跡)が現れ、その奥に連理のサカキがあります。この連理のサカキのあたりにも陣跡の幟が立てられており、実際にはこちらが陣跡だったようです。竹中半兵衛閑居の地も同所にあります。
看板があり、解り易いと思った。陣跡の旗2つの内1つが使い物になってなかった。
| 名前 |
長宗我部盛親陣所跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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説明文の一部が英訳されていませんが、ここに、外国人が来ることは、まずないので、問題ないでしょう。