山中鹿之助公の歴史を辿る。
山中鹿介の墓の特徴
高梁市指定史跡で、高梁観光百選に選定されています。
1713年に建立された歴史的価値のあるお墓です。
山中鹿之助の周辺には多くの供養塔が点在しています。
道脇にひっそりと佇む山中鹿之介公の墓に初参拝。駐車場等が有ればいいのですが。
学生時代、岡山県の倉敷で乗り換えして在来線で行ったのを覚えてます。高梁駅から少し離れたところ、高梁川の下流で橋を渡って右岸(川の西側)にあります。最近思い出して車で再び行ってみました。川のほとり寂しくあり、車の通りもそんなに多くないためあまり気づく人はいませんが、一武将の墓にしては立派な墓であるため尼子の配下の中でもとても有能な武将だったことが伝わってきます。
尼子十勇士の筆頭(彼以外は無名)の山中鹿之介のお墓。備中松山城に行った帰りに地図を見ていたら、発見したので寄ってみました。
高梁市指定史跡で高梁観光百選に選定されていますゲーム信長の野望シリーズや戦国BASARAで知られている山中鹿之助の墓です江戸時代に成立した陰徳太平記では主家尼子氏に尽くした忠臣として、同じく因幡民談記では略奪をした侵略者として記載されており評価は別れていますが戦国時代の感覚や常識は現代では理解出来ないと思いますしかし武将として後世の評価や人気は高く各地に鹿之助の墓がありますので興味のある方は訪れてみて下さい高梁市福祉施設たいようの丘下の墓地にある胴墓高梁市曹洞宗観泉寺にある位牌広島県福山市鞆の浦にある首塚広島庄原市東城町徳雲寺にある首塚京都府大徳寺、本満寺、光明寺の供養塔広島県浄教寺の供養塔鳥取県幸盛寺、大山町末吉の供養塔島根県巌倉寺、松江市美保関町の供養塔兵庫県佐用町の供養塔。
ご先祖様が尼子の家臣だったので、親近感を覚えます。鞆の浦のお墓にも足を運んだことがあります。
18世紀の建立。忠義と武勇の最終地点の碑。
コンビニに駐車できて便利。お参りついでに買い物できます。
車で仕事先に向かう途上に山中鹿之助公の墓が。静かに手を合わせ、頭を垂れる。最後まで諦めない。(紅葉の時期に再訪して銀杏の木の写真を撮影しました。)2019年7月、出雲、月山富田城跡を訪ね、山中鹿之助公の旧宅跡に参りました。手を合わせておりますと、在所の方が話しかけて来られ、高梁のお墓参りにも参らせて頂いております、と話すと、その後大層話が弾みました。今でも鹿之助公は心に生きておられるのですね。
昔の武将の墓です!有名な人です!
| 名前 |
山中鹿介の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://takahasikanko.or.jp/modules/spot/index.php?content_id=9 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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職場の先輩から山中鹿介の墓が高梁にあると聞いていました。島根県広瀬町の月山富田城の鹿介の墓がどうしてと思いましたが、この近くの高梁川の舟上で首をはねられたとのことでした。