古来の真言宗から日蓮宗へ。
経塚の特徴
古来より真言宗の金珠山光昌寺が見どころです。
酒井定隆が行った宗教政策と歴史があります。
田舎道の途中で静かな雰囲気が漂う場所です。
室町時代に創建された金珠山光昌寺(上総国山辺郡永田村/大網白里市永田)は、古来より真言宗の寺院でしたが、室町時代の長享2(1488)年に上総酒井氏初代当主であり上総土気城主・酒井定隆(1435~1522年)が行った宗教政策『上総七里法華』により、日蓮宗に改宗させられました。その際、不本意に改宗させられた一門が、経典や法具・仏器類を境内の一隅に涙ながらに埋めたと伝えられているのがこの経塚です。江戸時代の慶長8(1603)年に光昌寺は現在地(大網白里市永田1626)に移転しましたが、大正(1919)年に檀徒によりこの地に経塚の碑が建立され、『経塚』として大網白里市の文化財(史跡)に指定されます。日枝神社とセットで参詣(拝)しました。【経塚(現地解説板より抜粋)】永田の光昌寺は、はじめ真言宗に属し、坊院十棟、境内八ヘクタールに及ぶ大きな寺であった。長享二年(1488年)酒井定隆の改宗令によって日蓮宗に改められた。その際、不本意に改宗させられた一門は、涙ながらに経典・法具・仏器類のことごとくを、境内の一隅に埋めたと伝えられているのが、この経塚である。大正八年(1919)一門により、この地に経塚の碑が建立された。上総七里法華に関連した資料として、歴史的にも重要である。昭和四十八年五月一日指定大網白里市教育委員会令和元年度文化財看板修繕業務。
真言宗であった永田の光昌寺(こうしょうじ)は、長享(ちょうきょう)2年(1488年)土気城主 酒井 定隆(さかい さだたか)の改宗令により、日蓮宗に改宗させられた。その際、不本意にも改宗させられた一門が涙ながらに経典や法具・仏器類のことごとくを境内の一隅に埋めたと伝えられているのが、この経塚である。慶長(けいちょう)8年(1603年)、寺は現在の地に移転したが、大正8年(1919年)檀徒により、「経塚の碑」が建立された。
| 名前 |
経塚 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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田舎道の途中にある。いつも横を通っていたけど、オーラを感じてた。なるほど、こういう背景があるのね。ここだけ空気が違うんだよね。