武田勝頼公終焉の地で歴史散策。
武田勝頼の墓の特徴
新田次郎の武田勝頼との縁がある場所です。
勝頼公のお墓や没頭地蔵尊が見られます。
人も少なく静かに散策できる貴重な史跡です。
いつか訪れてみたい場所でした。あまりに切ない物語なのでなかなか足を運べずにいました。お寺までの参道を登り始めてすぐにネコちゃんのお出迎え?痩せて可愛くもないネコちゃんなのですが自分が登っては立ち止まって休憩、その度にネコちゃんも歩幅をあわせます。ネコちゃんの後を着いていくと勝頼のお墓でした。おお連れてきてくれたのか~でした😄怖いけど。休んでるとジーッと見て、歩き始めると一定の距離を保って先を進む。麓から墓までネコがそんな事するか?でした。新府城からここまで結構あります。甲府盆地はまだしも途中から延々と坂道になります。信じて待ったか?分かりません。どんな思いで最後を迎えたのかと思うと想像し難く、どこかで安易に訪れてはいけない場所にも思います。私にとってこの御方は武田勝頼でなく「諏訪四郎勝頼」何故か気になります🙇
5/14/202510年以上前、新田次郎の「武田勝頼」を読んだ後訪ねた記憶がある。その時は只々陰惨という印象が残ったが、この日はさわやかな新緑に包まれて、素直に英雄を偲ぶことができた。後に多くの武田家旧臣を再雇用した家康が田野一円を寺領として与え、景徳院を寺号に田野寺が建立された。その際の住持には勝頼を守って寺に近い鳥居畑で討死した小宮山友晴の弟で僧になっていた拈橋倀因( ねんきょう-ちょういん)が指名されたという。小宮山友晴は敗北した長篠合戦で敵前逃亡したした武田信廉らを批判して蟄居を命じられていたが、主君勝頼の助力に駆け付けた。穴山梅雪や木曽義昌などの裏切りが目立つ中で、実に気持ちの良い話だ。
景徳院(けいとくいん)は、曹洞宗のお寺です。武田勝頼父子および家臣の慰霊のため、徳川家康の命により天正10年(1583年)に創建されました。天正10年(1582)、甲斐国国主・武田勝頼は織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により、この地で自刃しました。境内供養塔 地図の場所はここ安永4年(1775年)に11世住職により造立された勝頼、信勝、北条夫人の供養塔があります。没頭地蔵尊 この場所より門側に下った場所にあります織田勢に首を持ち去られた後の武田勝頼・信勝・北条夫人の遺体を葬った場所と言われています。後に地元の人々が三体の首のない地蔵尊を祀ったと言われています。甲将殿 この場所の前の建物勝頼らが自刃したという場所に建てられています。勝頼・信勝・北条夫人の坐像と位牌、三人とともに討死した家臣の位牌が納められています。生涯石武田勝頼/夫人/信勝の3名が石の上に座って自害した場所。
武田勝頼公終焉の地であり、勝頼公のお墓の他に生涯石、没頭地蔵尊があり、人も少ないのでゆっくり散策が出来ます。戦国史好きなら訪れるべき場所です。
勝頼公のお墓の他に勝頼親子、北条夫人の自害なされた場所とされる『生涯石』御遺骨を葬り祭る処『没頭地蔵尊』などがあります。どちらも景徳院の敷地にあり、景徳院駐車場から階段を少しだけ登った所にあるので体力がなくても十分行けます。凄く静かな場所です。勝頼公に関しての知識は横山光輝漫画で読んだだけですが、生涯石で自害した事を想像したら悲しくなりました。
武田勝頼公終焉の地。以前から気になってましたがやっと行けました。あの最強軍団がこの地で滅ぶので何とも言えない複雑な感情でした。他に北条夫人と嫡男武田信勝公のお墓もあります。
左から、武田信勝公、武田勝頼公、北条夫人のお墓になります。勝頼公の死からこのお墓が建立されるまでの経緯を詳しく説明した案内板が設置近くにされています。勝頼公200年遠忌の際に建立されたため人骨や遺品などはなく、代わりに経典が写経された経石が大量に納められているとのことです。3人の胴体はすぐ近くの没頭地蔵尊に埋葬されているとの伝承があり、勝頼公の首級は甲府の法泉寺で祀られています。戦国の世の習いとはいえ、夫人19歳、信勝公16歳の若さでした。継室である夫人に実家の北条家に戻ることを勧める勝頼公ですが、夫人は頑として聞き入れなかったそうです。そして最後まで夫人に従った16人の侍女たちは、景徳院を下りてすぐ前の姫ヶ淵から身を投げました。この時代に生きる女性たちの凛とした生き方が垣間見えます。夫人は信勝公の継母ではありますが、きっと家族3人が仲良く安らかに眠っている場所です。
ここに武田勝頼が眠っていると思うと、戦国時代の歴史が好きな者にとっては胸が詰まることもあるかもしれない。静かな場所なので、ここで永遠に、安らかに眠ってほしいと思う。
| 名前 |
武田勝頼の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0553-32-2111 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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2025.7.26にお墓参りさせて頂きました。武田氏最後の当主であり最大版図を築いた英傑です。戦国の習いとはいえ、無念極まれりでしょう。せめてもの救いは、その功績と共に後世へ名を残したことでしょうか。