聖武天皇が描いた歴史の舞台。
武蔵国分尼寺跡の特徴
武蔵国分尼寺跡は奈良時代に創建された歴史的な場所です。
伝鎌倉街道を抜けて訪れることができる、アクセスの良い史跡です。
尼寺の面影が残る広大な敷地で歴史を感じることができます。
ここ武蔵国分尼寺跡は、奈良時代に聖武天皇が人々の苦しみから、解放する為各地に、国分寺を建てました。遺構は、金堂跡や、中門跡、東門跡、尼坊跡などが、あり良かったのと、想像しながら、巡ったのが良かったです。
国指定史跡。JR武蔵野線に沿うように遺跡があり黒鐘公園に隣接していて17号線を挟んで武蔵国分寺跡と隣り合わせとなっています。奈良時代714年聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって建立され江戸時代の書物にも国分尼寺の存在が記載されていたようですが昭和39年の発掘調査によって正式にその存在が確認されました。地元の方に聞いたところ国分寺に比べると遺構の状態が良好だそうで中門跡・幢竿(はたざお)・金堂・尼坊などの遺構ががコンパクトにまとまって見やすい遺跡となっていて北側の切通しは「伝・鎌倉街道」として保存されています。また武蔵国分寺跡とともに市立歴史市民公園として親しまれており各種大規模遊具なども近くにあり私が訪れたときには子供たちが大勢遊んでいました。
1/8 チャリで〜深大寺植物園の帰りに〜🚴武蔵野線の脇に〜子供たちの声が沢山聞こえます〜⭕
尼寺跡地です広大な敷地ですが尼寺を想起させるものは僅かに残るばかりそれでもここが立派な史跡であることに変わりありませんね。
2024年3月2日(土)に撮影。2枚目の写真には、出土した礎石が展示してあります。
武蔵国分寺の僧寺と尼寺に、どのぐらいの僧や尼僧が生活をしていたのでしょう。伝鎌倉街道に隣接していて、当時、藤原京から平城京、長岡京、平安京と都を移し、さらに、この武蔵国分寺から東へ、国治めの事業を広げていったのでしょう。
西国分寺駅から伝鎌倉街道を抜けると国分尼寺跡にたどり着きます。野っ原に金堂や講堂の跡に柱のマークがあり、想像がふくらみます。
国分寺の歴史を知ることができる良い場所。
| 名前 |
武蔵国分尼寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004220.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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「武蔵国分尼寺跡」は、東京都国分寺市にある「武蔵国分寺跡」からJR武蔵野線を挟んだ西側にあり、聖武天皇が奈良時代の中頃の741年(天平13年)に政治の混乱や社会不安の続く国内を仏の力で国を安定させるための「国分寺建立の詔」により諸国に建立された国分寺の中の一つの武蔵国の国分寺に国分尼寺の遺跡になります。武蔵国では、都と国府(現府中市内)を結ぶ古代官道「東山道武蔵路」沿いの東に僧寺である武蔵国分寺、西に尼寺である武蔵国分尼寺が配置され、武蔵国分寺の伽藍は1333年(元弘3年)の分倍河原の合戦の際に焼失したと伝えられていますが、江戸時代には武蔵国分寺跡は江戸近郊の名所として知識人の注目を集め、地誌にも紹介されるようになりました。全国の国分寺跡の中でも最大級の規模を誇り、1922年(大正11年)に武蔵国分尼寺跡も含めて国の史跡に指定されて、現在は市立歴史公園として整備されています。尼寺伽藍の中枢部を構成する中門跡、金堂跡、尼坊跡などが残っておりますが、可能であれば往時の姿を復元して欲しいところです。