日本武尊ゆかりの玉清井。
玉清井の特徴
江戸時代の干ばつ時、村人が協力して水を貯えたため池の由来地です。
常陸風土記に記された玉清井は、日本武尊にまつわる伝説があります。
昭和に作られた玉清井は、行方市の歴史深い場所です。
・2021/3 訪問由緒ある場所なので行ってみました。古(いにしえ)の頃は全体的に整備されてなく、なんだかなぁ~と思われる所だったようです。なお、現在は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が見たらびっくりする位壮大に奉られていてご満足されると思います。さらに視程がよければ筑波山も綺麗に見えます。興味があればぜひ行ってみてください。
日本武尊が泉に勾玉を落としたとの言い伝えがある場所。
常陸風土記にも記載のある玉清の井なのですがこの場所は昭和につくられた場所で、本物の玉清井は西に300m行った場所です。工事により井戸が枯れたのでこの場所が代替地として整備されました。
「常陸国風土記」行方の条によれば、「倭武天皇(日本武尊)巡狩天下 征平海(霞ヶ浦)北 當是經過此國 即頓幸槻野之清泉 臨水洗手 以玉落井 今存行方里之中 謂玉清井(今も行方の里の中にあって玉清井と謂う)」これをもって、旧・玉造の地名の由来ともされるそうです。(別説ではこの辺りに勾玉作り玉造部が住んでいたからともいわれる)ところで、「井」というにはやけに大きな池ですが、これは天明の大飢饉の際、村人達が泉を掘り広げて溜池となし利用したためです。玉清井のお隣には玉清井神社がありますが、これまた江戸時代に村人達が江戸の妻恋稲荷の御分霊を奉齋、永井戸稲荷と尊称して祀ったものです。なお、井の中ほどには、日本武尊が玉を捧げた姿の雰囲気抜群の銅像がありますが、これは(この地方の名所旧跡で時々見かける)地元の彫刻家・宮路久子氏の傑作です。さて、後は井にジャブジャブと入って、ヤマトタケルが落とした件の(勾)玉を探し出すばかりでありますが。なお、ここより北西300メートルほどの国道355号線脇の小さな茂みに「槻野の清水」という場所がありますので、そちらもご覧ください。
| 名前 |
玉清井 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://namekan.jp/2020/07/17/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E7%8E%89%E6%B8%85%E4%BA%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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行方市教育委員会の看板によると、江戸時代に干ばつが原因で飢饉になった時、村人が力を合わせて泉をため池にし水を貯え利用した。そして、江戸の嬬恋稲荷の分霊をお迎えして永井戸稲荷神社として祀った、とのこと。玉清井神社という名前のお社は見られないようです。北西に0.3キロ程度離れた所に槻野の清水とされる場所がありますが、そこには石根様と呼ばれる石根神社(御祭神 石凝姥命)と記された石があります。地名の玉造の由来でもあると思われる玉造部の祖神は玉祖神(五伴緒の一人)だけど、石凝姥命は鏡作の祖神なので謎です。常陸国風土記行方郡条 にはこちらの場所の記事が次のようにあります。(常陸国風土記では日本武尊は倭武天皇と書かれています)所以稱行方郡者、倭武天皇、巡狩天下、征平海北。當是經過此國、即頓宿梶野之清泉、臨水洗手、以玉尊井。今、存行方里之中、謂玉清井。行方郡と称ふ所以は、倭武天皇、天の下を巡狩りたまひて、海の北のかたを征平げたまひき。当是に此国に経過りたまひしときに、即ち槻野の清泉に頓宿りたまひ、水に臨みて手を洗ひたまふに、玉以ちて井を尊めためふ。今に行方の里の中に存り、玉清井と謂ふ。廣岡義隆校註『常陸国風土記註解』より。