歴史を感じる秩父青石。
板石塔婆石材採掘遺跡の特徴
緑泥石片岩は縄文時代から使用された歴史ある石材です。
秩父青石の採掘跡を訪れると壮大な自然に囲まれています。
古墳時代から続く石室用石材の魅力を体感できます。
資料によると、緑泥石片岩は秩父青石とも呼ばれ、すでに縄文時代の石斧や、石皿、古墳時代には石室等に用いられている。鎌倉時代には、供養塔の一種として発生した板石塔婆に石材が適したため大いに利用され、いわゆる武蔵型の美しい塔婆の形式を作り出し、関東の青石塔婆として全国的に有名である。野上下郷石塔婆の石材はこの地から運ばれたものと言われている。関東地方には、青石塔婆は約5万基以上あると言われている。とあります。野上下郷石塔婆や、簗瀬神社の礎石・束石等に、この秩父青石が使われているそうです。
緑泥片岩の採掘地の一つです。緑泥片岩の利用は古く、縄文時代の打製石斧から始まり、古墳時代の箱式石棺、竪穴式石室の天井石、横穴式石室の石材、鎌倉時代の板碑と利用が長くされてきました。緑泥片岩の特徴は緑の色彩がかった板状の岩で、キラキラ光る結晶(片岩)が確認できます。存外、丈夫で大きな部材でも梵字を彫ったりする事ができ、風雨に対する耐性もあるので、利用された地域を調べる事でその時代の流通を調べる事ができます。なお、房総方面では板碑に緑泥片岩を利用することが少なくなり、黒雲母片岩の利用が多くなります。
山の中です。舗装道路から600mですが、油断は禁物です。登山の装備で行った方が良いです。駐車場はありません。舗装道路の終わりに停められるかもしれませんが、Uターンは難しそうです。しかしながら、遺跡は感動ものです。
| 名前 |
板石塔婆石材採掘遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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埼玉県内のお寺に行くとキリークの梵字が刻まれた緑泥片岩(通称:秩父青石)の碑(板石塔婆)があったりする。長瀞が産地と云われ、交通が発達していない時代に荒川を利用して運搬したと云われている。ただ現在や江戸時代・明治時代にも板石塔婆のあるお寺の近くには荒川がある訳ではない。荒川の由来の通り荒ぶれる川があったことから当時の荒川は今とは違った川筋がありました。その当時に荒川で運んだのです。別の川に移し水運をしたこともあるでしょう。例 : 『埼玉県の加須市にある総願寺の不動堂には不動明王がお祀りされ、光明殿前にはキリークの梵字を彫刻した緑泥片岩の板石塔婆もある。その昔京都御所の紫しん閣に不動明王をお祀りしていたが、不動明王の利剣を盗もうとした者があり、役人が故郷の埼玉県吉見に不動明王を背負い帰郷した。役人はお堂を造りそこにお祀りしましま。ある時大雨で荒川が氾濫し不動明王は荒川の濁流にのまれ加須の岡(地名)に流されてしまいました。不動明王がその地に流れ着いた事からその地は不動ヶ岡と呼ばれるようになりました。現在の加須市不動ヶ岡に荒川などありもしない。吉見から加須に流れ着いたとは何とも理解し難い。深堀りをすると会の川に流れ着いたのです。しかし荒川と会の川も繋がっていないのです。川なき場所を覆いつくした濁流が会の川まで不動明王を運んてしまったのです。それが不動明王は荒川に流れたと伝わるのです』繰り返しになりますが、荒ぶれる川の川筋があったからこそ、緑泥片岩の運搬が可能だったのです。もちろん小河川をも利用したことは否めません😁此処から緑泥片岩(秩父青石)の石碑を運搬した昔の荒川河川と小河川の川筋を探求していますがロマンを感じます。大昔の川筋と現在の川筋を資料を探し当てて比較してみたいものです。勿論此の場所から運び込んだ川筋が何処にあったのかは言うまでもありません😁※写真は荒川西遷前と荒川西遷後の川筋で上記文脈とは年代が違います。