スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
高津戸古柵碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
高津戸峡の左岸道路に面していて、高津戸峡から登った要害山散策路の入り口にあります。柵とは古代の城で、要害山に平安末の承徳・康和年間に山田氏によって築かれたといいます。鎌倉時代に山田氏が滅ぶと里見氏が入り天正4年に上杉氏に打たれるまで続いたそうです。碑は倒れて断裂したものが継がれています。明治23年(1890)成瀬大域の撰・書(和文)、井龜泉鐫。「上野国山田郡高津戸の柵」にはじまり「いまもいくさのとよミとそきく」で終る。・上野国高津戸古柵碑 明治二十三年十二月 賜硯堂成瀬温書井亀泉鐫[臥11100]