復興の歴史、ここにあり。
東子安一里塚跡の特徴
一里塚跡の案内板が外されており、情報が不足している。
国道15号沿い、伊澤造船所の壁面に位置している。
過去の空襲や震災からの復興による影響が感じられる場所です。
跡だけで説明書きがあるだけで石碑等は無い。少し通り過ぎてしまい、戻って探した。近くなっとら注意深く歩くといい。
どこにあったのかはわからないようですが、この辺りと言う案内板です。
このあたりは空襲や震災からの復興や開発の激しいところですから、一里塚の痕跡がないのも止む無しかと思います。それでも推定による凡その位置とは言え、一里塚の目印を残してくださった伊澤造船所さん、神奈川東海道ウォークガイドの会さんの熱意と厚意に感謝です。
あくまで推定なのね。でも、まあ説明板だけでもありがたい。
設置場所は、国道15号沿いの伊澤造船所の壁面で、キリンビール横浜工場の近くにあります。アルミ複合材の案内板(B3サイズ)に経緯と根拠となった絵図など2枚が特殊印刷されています。この一里塚は日本橋から6里目(約24キロ)で、かつては目印に松やエノキが植えられていたが、道路整備などで場所が分からなくなってしまった。「1806年の東海道分間延絵図に基づいて、比率から一里塚の場所を推定した」とされています。
これしかないというのも、寂しい限りです。
| 名前 |
東子安一里塚跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
2.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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どういう訳か案内板が外されてましたー😓