上杉謙信の歴史を感じる。
樫ノ木城跡の特徴
上部に登ると観られる堀や切岸が魅力的です。
越後上杉氏が守った歴史深い城跡です。
奥の尾根からの眺めはヤブ好きにぴったりです。
農業改変されてるみたい👨🌾上部へ登ると堀♪に切岸♬、スロープ状の坂虎口♬がある最上部の曲輪をさらに奥へ行くと堀切♬が見れた奥の尾根からは眺めが良かったヤブ🌿好きな人向け 🤭
越後上杉氏が越中南部の押さえとしていた城。非常に広い削平地を持ち、居住区を思わせるが、昭和時代まで畑として利用されていて改変もありそう。だが、とにかく切岸が素晴らしい。その規模に圧倒される。祠もあるが、麓の集落は既に廃集落になっているので、今後は管理されることもなく荒れていくことであろう。
登城口は分かりにくいですが、堀切&空堀などの遺構が残っています。戦国期 越後上杉氏の家臣 村田秀頼が在番を務め、飛騨三木氏との連携に重要な役割を果たしていたと思われます。
| 名前 |
樫ノ木城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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樫ノ木城跡(かしのきじょうあと)は、富山市砂見に所在する戦国期の山城で、標高330mの山上に郭や堀切が残り、上杉謙信の家臣・村田氏や飛騨の三木氏らが関与したとされる歴史を伝える。山あいの道を進み、樫ノ木の名を持つ集落跡を越えると、山頂部に往時の城跡が広がる。そこは深い藪に覆われ、訪れる者に荒廃した印象を与えるが、切り立った尾根に連なる曲輪の段差や鋭い切岸の残影は、かつての防御の厳しさを今に示している。尾根上には主郭を中心に七つの郭が階段状に配置され、南北方向に展開する縄張りは、標高差と地形を巧みに利用していた。現地に立つと、かつて北方の津毛城や文殊寺城、さらに南西の池田城と連携し、飛騨方面からの侵攻を防いでいた戦国の構図が思い浮かぶ。この城の築城年代は明確でないが、16世紀半ばには上杉氏が越中南部の抑えとして利用していたとされる。元亀元年(1570)には、謙信の命により飛騨の国人・三木良頼が守備を担ったことが書状に残されている。また天正元年(1573)には、村田秀頼に大田郷の料地経営を命じる文書が見られ、村田氏が城将として関与した痕跡もある。こうした一次史料は、この城が単なる山中の砦ではなく、地域支配の拠点として位置づけられていたことを示している。天正6年(1578)、上杉謙信の死後に織田勢の越中侵攻が進むと、同年9月に前衛の津毛城が落城し、樫ノ木城もその直後に廃絶したと推定される。以後は利用されることなく荒廃し、周辺集落も廃村となった。伝承や逸話はほとんど残されていないが、現存する遺構とわずかな史料の記録が、戦国期の緊迫した情勢を静かに物語っている。現在、樫ノ木城跡は文化財指定を受けておらず、整備も進んでいない。そのため訪れる人も少ないが、深い藪の下には戦国期の城郭構造が眠っており、畝状の空堀や土橋などは上杉氏の築城技術の特徴を伝える。現地でその痕跡をたどれば、山城の構造と地域防衛の戦略が直に感じられるだろう。この城跡は、越中南部における上杉氏の防衛網の一端を担い、村田氏や三木氏といった在地武将の活動を裏付ける場でもあった。周辺の津毛城・文殊寺城・池田城とともに、越中と飛騨・北信を結ぶ要衝を守った歴史を伝える貴重な痕跡である。荒れた山林に残る土の城は、戦国の時代が確かにこの地を通過したことを静かに証している。