お菓子の神様とみかんの神社。
橘本神社の特徴
風車や蜜柑畑を超えた、ミカンの神様が祀られています。
江崎グリコなど関西製菓企業の寄進が刻まれた石碑が魅力です。
田道間守が初めて柑橘を持ち込んだ由緒正しい神社です。
映画撮影のサポートで就労継続支援B型事業所キミト☆ミライのメンバー製作(竹あかり製作家の久道 勇弥氏監修)❎ feat.flower officeエルマーナ(Ai Kada氏)でジャイアントフラワー🌼\u0026竹あかり🎋✨の演出をさせていただきました😊日頃、お世話になっている知り合いの方々ともお会いする事が出来ました✨
お菓子の神社⛩こんな遠くに。と思うけど、お菓子関係の会社の方は参られてます。落ち着いた神社で、朝夕子どもたちが遊びに行く姿を想像すると昔の日本の姿が思い浮かびます。
風車や蜜柑の山の曲がりくねった細道を超えてたどり着いたミカンのとお菓子の神社。田道間守が中国から持ち帰ったとされる、日本の各所で栽培されている柑橘系の原種といわれる橘の木が植えられている。
ミカンとお菓子の神様と崇められているだけに、ミカン畑に囲まれた山間にあり、寄進を刻んだ石碑には江崎グリコをはじめ関西の製菓企業の名がズラリ。という神社ではあるけれど、意外とこぢんまりとした佇まい。お守りやお札は無人販売(といっていいのか)でトイレは故障につき使用不可でした。
駐車場(無料)は、神社の入口の道路の北側30メートルあたりにあります。トイレは確認出来ませんでした。所坂王子跡があります。
熊野古道にある由緒正しい神社です。
キツモト神社。みかん発祥の地、お菓子の祖…と言われています。こじんまりとした神社サンで、ちょっと道が細いです。御朱印頂けます(賽銭箱のところに書置が用意されているので、小銭必須!)。
柑橘と菓子と文化を祀る神社。11代垂仁(すいにん)天皇から不老不死の霊果、非時香果(ときじくのかぐのこのみ)、時期を選ばすいつでもいい香りの果実、現在の橘。を探す勅命を承った。田道間守(たぢまもり)が日本中、果ては常世国(海を越えた先にある異世界)まで行き、10年後橘の木を持って帰った来たが天皇は既に崩御。半分を皇后に献上、半分を天皇の御陵にその場で泣き叫び続けて亡くなった。その橘を最初に移植したのが、橘本神社の旧社地「六本樹の丘」。もちろん同社には、田道間守が祀られている。故事に「橘は菓子(果物)の最上にして人の好む所なり」とあり。そして、一番最初の菓子は橘の実や果汁を加工した物で、これが菓子のルーツになった。現在身の回りのお菓子を見ても、果汁入り、果肉入りの物が沢山ある。もとを辿ればここに行き着くのか。と思いながらみかん飴を口に入れた。
みかん🍊の原木があり。良かったです。
| 名前 |
橘本神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
073-494-0083 |
| HP |
https://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=2021 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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橘本神社(きつもとじんじゃ)悠久の歴史を誇る神社にて、その神秘なる物語が今も語り継がれています。記紀に曰く、第十一代垂仁天皇の命により、田道間守(たじまもり)は不老長寿の霊菓を求めて常世の国に渡り、十余年の辛苦を経て「橘」を携えて帰還。しかし、天皇は既に崩御されており、彼の悲しみは深く、橘を天皇の陵に捧げて命絶えたという。橘こそが、現代のミカンの原種であり、日本に最初に移植された地、すなわち橘本神社の旧社地「六本樹の丘」にてその歴史が始まるという。永享9年(1437年)の神社棟札に刻まれた文字は、時を超えた証。保元3年(1158年)には、白河法皇が熊野行幸の際、この地で一夜を過ごし、「橘の本に一夜のかりねして入佐の山の月を見るかな」と詠まれたことも伝えられています。歴史深い地に立ち、心静かにその時の流れに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。#橘本神社#歴史深き神社#垂仁天皇の伝説#田道間守#不老長寿の霊菓#橘の物語#ミカンの起源#和歌山の歴史#熊野行幸#白河法皇#古代の風景#神社巡り#神話と歴史#六本樹の丘#永遠の時#神社仏閣巡り#心のオアシス#癒しの旅#歴史と風景#優しさを広げよう#参拝のひととき#日本の美しさ#心に花を咲かせる#スピリチュアルな旅。