開南中学の歴史を感じて。
開南健児之塔の特徴
開南健児之塔は戦前の歴史が詰まった場所です。
昭和11年創設の開南中学校の碑文が見どころです。
沖縄戦で命を捧げた若者たちの歴史を知れる場所です。
摩文仁の健児の塔同様に人気がありませんでした。ご焼香だけさせていただきました。皆様にもいらしていただきたいです。
開南中学校は、戦前の沖縄県で唯一の旧制私立中学校で1936年(昭和11年)に創設されましたが、沖縄戦によりわず 9年という短い歳月で廃校になりました。1945年(昭和20年)3月25日前後、教頭から「空襲下で学校としてまとまって入隊するのは難しいので、各自で入隊するように」との指示を受け、各自で部隊に向かうことになりました。開南鉄血勤皇隊の入隊先の第六十二師団独立歩兵第二十三大隊は、激戦地となった宜野湾一浦添戦線に配置され多くの犠牲者を出した部隊で、入隊した開南中学生が全員戦死しました。3月9日、通信隊要員の生徒は、高嶺村の大城森(現糸満市) に駐屯していた第二十四師団司令部へ配属されました。「生徒らは、同地で訓練を受けた後、5月中旬、部隊とともに首里に移動しましたが、前田(現浦添市)方面の劣勢がはっきりした5月下旬頃、高嶺村の大城森に撤退することになりました。その後、真栄里集落西側に布陣していた大隊へ配置替えになり、それから国吉集落西側に布陣していた大隊へ配置替えになりました。国吉へ配置替えになって間もなく、米軍野営陣地へ斬り込みましたが、多くの犠牲者を出しました。8月29日に生徒らは米軍に収容されました。-案内板より-
碑文より:開南中学校は、戦前の沖縄県で唯一の旧制私立中学校で、昭和11年に創設されましたが、沖縄戦によりわずか9年と言う短い歳月で廃校となりました。昭和20年3月25日前後、教頭から「空襲下で学校としてまとまって入隊するのは難しいので、各自で入隊するように」との指示を受け、各自で部隊に向かうことになりました。「開南鉄血勤皇隊」の入隊先の第62師団独立歩兵第23大隊は、激戦地となった宜野湾~浦添戦線に配置され多くの犠牲者を出した部隊で、入隊し開南中学生が全員戦死しました。
当時中学生だった男子たちが、志願して故郷を防衛するために、斬り込隊まで編成して戦死されたことを知り、茫然としました。修学旅行生がここを訪れることはまずありません。開南中学の生徒たちがこのまま風化してしまうのではと、心配です。
| 名前 |
開南健児之塔 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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県内唯一の私立中学として1936年志喜屋孝信氏により南極探検船「開南丸」に因んで建てられたが、開校僅か9年で沖縄戦に入り廃校となった。この開南中の生徒で結成された鉄血勤皇隊・通信隊の慰霊碑です。ここはあまり知られてはいないのか、今まで行っても誰とも会ったことはありませんが落ち着いた雰囲気の中碑前でゆっくり弔うことが出来ました。