西洋料理の父が育んだ美味しさ。
草野丈吉之像の特徴
日本最初の西洋料理店を創業した歴史的な人物がいます。
草野丈吉が広めた美味しい日本西洋料理の源となっています。
看板に記された草野丈吉の功績が印象的な場所です。
美味しい料理日本西洋料理はここから始まったんですね♪看板のこう書かれてました。日本西洋料理の開拓者草野丈吉野文吉は天保11年(1840)に長崎市内の農家に生まれ、21歳で出島のオランダ総領事のもとで働き西洋料理を習得しました。そして文久3年(1863)、24歳の時に自宅で小さな西洋料理専門店を開業しました。当時、西洋料理は珍しく、店は長崎奉行の外国人接待に使用されました。また、佐賀主鍋開夏も、後に日本赤十学社を設立した佐野常民を伴って来店、文吉は佐野のすすめで店名を「自由学」と名付けました。このほか来店客には、三教制者の岩崎弥太郎やジョン万次郎らもいたそうです。大吉は、皮応3年(1867)、28歳の時に、大阪の土佐商会に呼ばれ、前土佐藩主山内容堂に土分に取り立てられました。同年、外国官報事だった五代友厚に命じられ大阪川口居宿地にホテルを建て、明治5年(1872)の京都博覧会に際して外国人向けホテルを経営しました。明治10年(1877)には、三度に渡り明治天皇の食事を担当しました。さらに、明治12年(1879)に米崎した前アメリカ大統領グラント夫をはじめ、各国の要人たちに料理などをふるまいました。その後、42歳で大阪中之島に自由学ホテルを開業、46歳で神戸自由亭も開店するなど事業を拡大しました。当時、ホテルの常連客には、後の外務大臣陸奥光らがいたそうです。文吉は、明治19年(1886)、47歳の時に活躍の地大阪でに倒れました。大阪安倍野発地の葉誌には、「空国西洋割点の職矢自由亭者共舎也」と刻まれています。胸像の後方にある建物は長崎市馬町から移築された「自由亭」です。建物内には丈吉の子孫から寄贈された食器が展示されています。
草野丈吉(1839〜1886)は日本人による日本最初の西洋料理店と言われる長崎「良林亭」を創業した人で日本の西洋料理の父と言われている人物です。オランダ領事館の調理師となり、オランダ公使のお気に入りとなり、オランダ船に乗り海外を回って西洋料理の知識を身に付ける事が出来ました。文久3年(1863年)開業の「良林亭」は五代友厚の勧めで開いた店で、長崎奉行所が外国人を接待する際の御用達の店となりました。慶応3年1867年に移転して「自遊亭」となってからは後藤象二郎が贔屓で訪れたそうです。他にも小松帯刀、伊藤博文も訪れました。元アメリカ大統領グラント将軍も訪れたという事で、どんな料理だったのか盛り付けだけでも見てみたいです。その後、大阪、京都にも進出し、ホテル業も経営しながら日本のトップのコックとして勢力的な活躍をしていましたが、明治19年(1886年)に47歳で急逝されたそうです。
| 名前 |
草野丈吉之像 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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西洋料理をオランダ総領事で習得し広めた人。