天叢雲剣発祥地、神秘のひととき。
尾留大明神旧社地(天叢雲剣の発祥地)の特徴
スサノオが草薙剣を得た歴史的な場所です。
天叢雲剣の発祥地としての重要性が感じられます。
のどかな雰囲気の中での静かな訪問が楽しめます。
尾留大明神旧地(おどめだいみょうじん)須佐之男命(すさのおのみこと)は、酒に酔いつぶれた八岐大蛇を倒しました。須佐之男命ここ御立薮(おたてやぶ)の地で八岐大蛇の尾を開いて、宝剣・「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」を手に入れました。「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」は別名「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも呼ばれ、天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上されたのち、現在は三種の神器の一つとして名古屋の熱田神宮に祀られています。御立薮には須佐之男命と妻の稲田姫が祀られる尾留大明神(おとめだいみょうじん)がありました。尾留大明神は、斐伊川の氾濫により1744年、200m南のこの地に移転されました。1871年に御代神社改称されました。更に、1912年に日吉神社に移転合祀され現在の御代神社なりました。
御代神社に合祀された跡地。記念碑が建っているだけで、寂寥感を感じてしまいます。
静かでのどかで、時間がゆっくり過ぎていくような場所でした。草薙剱が生まれた(?💦)場所です。神話の世界に想いを馳せるに、ぴったりの場所でした。
凄い場所なのにもっと観光地としてアピールすべき所だと思う。
スサノオや天叢雲剣などのキーワードにロマンを感じる方は一度は訪れたい場所ではないでしょうか。長時間いなければほとんど車は通らないとは思いますが、細い坂道の途中にあるため、坂を上がった御代神社の駐車場を使わせていただくのが無難かもしれません。(坂を下った空き地?辺りで駐車した方が近いですが駐車してて大丈夫かどうかわかりません。)以下画像内の文章記載します。--------------------------------------------------------尾留大明神旧社地(天叢雲剣の発祥地)八塩折の酒に酔いつぶれた大蛇を退治した須佐之男命は、この御立薮で大蛇の尾を開いて宝剣を得られたが、その宝剣の上に怪しき雲があったので、「天叢雲剣」と名づけて天照大御神に献上になり、後、三種の神器の一つとして今も名古屋の熱田神宮に祭られている。この御立薮(現在は畑地)は須佐之男命と稲田姫を尾留大明神と称し広く崇拝されていたが、斐伊川の氾濫により、延享元年(一七四四)約二〇〇メートル南方のここ大津の丘陵中腹に移転。明治四年に御代神社と改称され、更に大正元年日吉神社地に移転合祀して今の御代神社(南方五〇〇メートル)となっている。--------------------------------------------------------
天が淵の案内看板で知り草薙の剣 発祥の地を訪ねました。現在奉納されている熱田神宮も10/3に奉納された刀を展示する草薙館も開館しました。レンタカーのナビで見つけられ無かったですのでgoogle map ナビに住所入れて行きました。
スサノオノミコトは、この地でオロチの尾を開いて「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」を得られたと伝えられています。 「天叢雲剣」は、またの名を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」ともいわれ、三種の神器の一つとして熱田神宮(名古屋市)の御神体として祀られています。 この御立薮(おたてやぶ)(現在は畑地)は須佐之男命(すさのおのみこと)と稲田姫を尾留大明神(おとめだいみょうじん)と称し広く崇拝されていたが、斐伊川の氾濫により、延亨元年(1744)、約200メートル南方のここ大津の兵陵中腹に移転しました。明治4年に御代(みしろ)神社と改称され、更に大正元年日吉神社地に移転合祀して今の御代(みしろ)神社(南方500メートル)となっています。
熱田神宮の御神体である雨叢雲剣が出てきたところです。名古屋市民なら一度は訪れなければいけません。
スサノオが、ヤマタノオロチの尾を切り裂いて草薙剣を得た場所。
| 名前 |
尾留大明神旧社地(天叢雲剣の発祥地) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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道路脇にぽつんとあるのですが、ここがオロチの尻尾から取り出され、後に三種の神器の一つとなる天叢雲剣の発祥の地となると、とてつもなく神聖な場所に思えてきます。