金運を引き寄せる!
長浜神社の特徴
八束水臣津野命を祀る神社で、国引き神話が伝わります。
300mの石階段を登った先に、美しい拝殿があります。
境内には北斗七星のデザインされた通路があり、見どころが多いです。
1543.2023.09.14延喜式神名帳に記載されている式内社の出雲神社 はその後がはっきりとしませんが長浜神社 が有力な候補の比定社とされていて島根県特別神社に指定の神社さんであります 。本殿の右側にある3つの鳥居が連なっている三社鳥居や随神門がとても素敵でありました 。こちらも出雲系の野太き注連縄です 。境内には坂下荒神社・稲荷神社・天神社春日神社・秋葉神社なども鎮座でありました 。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の百日祈願でも知られ加藤清正や片桐且元が参拝したらしいです 。主祭神は八束水臣津野命となっておりました 。出雲の国を広げるために海の向こうから土地を引き寄せたという国引き神話の神様です。御配神には布帝耳神と淤美豆奴神を祀っている。書き置きの御朱印を1つ頂くことができました 。出雲國神仏霊場・第十九番となっていまして出雲國神仏霊場 巡拝帳用の御朱印も頂けます 。木製の護縁珠も授与されます。(共に500円)1675年 (延宝3) 社殿が焼失してしまうが松江藩主松平綱近の命によって新造営された。古くは 出雲社 や 出雲神社 と称したらしい 。中近世には 妙見社 や 薗村妙見神社 と呼ばれ1872年 (明治5) に現在の社名となっている 。
GWの17時過ぎに到着。少し遅かったので、静まり返ってました。駐車場に停め、すぐに長い階段。上がるのを躊躇するくらいでした。子どもの部活の必勝祈願に訪れました。勝ちますように…土俵があり、珍しいなぁと思いました。優勝したら、またお礼に行きます。
2026年3月22日に参拝しました。鳥居前に駐車場があります。今回は、時間の都合で参道を歩かず、神社脇の駐車場まで登って行きました。和銅3年710年以前創建といいますから、藤原京から平城京へ遷都する頃には、既に鎮座していた古社です。主祭神は、国引き神話の主人公である八束水臣津野命(やつかみづおみつぬのみこと)です。八束水は、限りなく深い水の例えと考えられます。膨大な水量または、大河や洪水、大運河の意味かと思います。配祀神は、淤美豆奴命(おみづぬのみこと)と布帝耳命(ふてみみのみこと)です。この2柱は、夫婦です。臣津野と淤美豆奴の読みが同じで水神を意味することから、主祭神と配祀神は、同一の神様だと考えられます。恐らくですが、宍道湖と神門水海の間を何度も蛇行して土砂を堆積させて平野を形成していった斐伊川を神格化した存在かと思います。ちなみに斐伊川が宍道湖に東流する状況が確定するのは、江戸時代の1635年前後です。それ以前は、神戸川同様に神門水海に西流していました。出雲国風土記の国引き神話では、八束水臣津野命は、朝鮮半島の新羅や能登半島の珠洲、隠岐島の島前(佐伎の国)と島後(良波の国)から国土を切り取って、綱を縛り付けて引っ張って島根半島にまとめたといいます。その綱を本土側に縛り付けた所は、三瓶山と大山だそうです。斐伊川の侵食作用によって谷間が形成され、更に縄文海進よって古宍道湖が出来ました。風土記で八束水臣津野命が、「出雲国は、細い布のようだ」と言います。妻である布帝耳命は、衣類の神様です。細い布は、妻を形容していたと私は考えています。二人の間に授かった天之冬衣神(あまのふゆきぬのかみ)も衣類の神様です。縄文海進から寒冷化に転じ、海水面が下降すると共に砂州が形成され、島根半島と陸続きになった状態が、幅広くなった息子の姿そのものだったかと思えるのです。天之冬衣神の息子が、大国主命です。古事記では、祖父である八束水臣津野命の話しは、大国主命のこととして記載されているとうかがいました。出雲国風土記には、出雲社。延喜式神名帳には、出雲神社として記載されています。古くから、参拝前に海で沐浴して禊ぎを行い、禊ぎを済ませた証拠として海藻を持参し、この神社に海藻を掛けていたそうです。その習わしを「厳藻かけ(いづもかけ)」と呼び、出雲(いづも)の国名となったそうです。国土形成の神様の由縁が分かる気がしました。国引き神話で綱を引っ張ったことから、綱引きの元祖、スポーツの神様、勝負の神様としても有名です。武運長久を願う武将から信仰を集め、中近世には、妙見信仰の神社となります。明治維新後に長浜神社と改称されるまでは、妙見大明神・妙見大社と呼ばれていました。妙見信仰は、北辰(北極星)や北斗七星を神格化したものです。妙見菩薩は、本地垂迹から天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)と同一視されました。北斗七星は破軍星とする占星術と関係しているのだろうと思いますが、特に千葉氏や相馬氏が信仰していたことでも知られます。北辰一刀流の千葉周作も、この流れになると思います。北辰(北極星)が、こぐま座のポラリスになり始めるのは、西暦1000年前後からだと思います。それまでは、北極星不在の時代だと思いますので、妙見様になられたのは、平安時代以降のことかと考えます。豊臣秀吉が、朝鮮出兵の戦勝を祈り、百日祈願を行った神社です。その時の弓掛松が残されています。
神在祭期間の稲佐の浜で、【天使の梯子(はしご)】をよく見るんですけど、昨年も同じ方向で見た👀✨し、気になったので車を走らせました🚗³₃Googleマップを見て、目指す方向にあるのは、【長浜神社】さま⛩HPに【国を引きよせ 人を引きよせ 幸を引きよせ】とあります。私も引きよせられちゃいましたᐠ(๑ᐢ ᵕ ᐢ๑)ᐟ明治以降より【長浜神社】と呼ばれるようになったみたいですが、それ以前は【妙見社】【出雲社】【出雲神社】ですって。
正月の初詣で訪問しました。手水舎がハイテクで面白かったです。家族経営の神社という感じで、神主のお子さんらしき方がおみくじ購入の対応をしてくれました。
長浜神社(ながはまじんじゃ)。島根県出雲市西園町。式内社(小)出雲神社論社、旧県社。【祭神】八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのかみ、大水の主の神、大国主神の祖父)(配祀)布帝耳命(フテミミ、淤美豆奴命の妻) 淤美豆奴命(オミヅヌノカミ、八束水臣津野命に同じ)資料によると、国引き神話の主人公と、古事記の系譜にいう妻神と御子神を祀る。出雲・島根などの地名を命名されたと風土記に伝える最古の神を祀る社ゆえ、風土記にいう出雲社・延喜式にいう出雲神社に擬せられる。出雲の開闢神(かいびゃくしん)ゆえ妙見信仰と結びつき、中世、近世には妙見大社などと称し、日本三大妙見に数えられたが、明治の神仏分離ののち、長浜神社の社名となり現在に至る。戦前の社格は県社。 太閤朝鮮出兵の折の加藤清正・片桐且元の百日祈願・弓掛けの松の話が知られ、そののち社紋も桐の神紋に改めた。綱引きの祖とも仰がれるスポーツ上達の守り神、かつ武運長久の妙見信仰で勝利をもたらす神とのご神徳を今に伝える。とあります。補足:大神神社と同じ、サイノカミを祀る三ツ鳥居があります。
勝利を引き寄せると言われる神社。とても気になりお参りしました。当日は雨☔予報。良くて曇り☁️予報だったのですが、どうしても行かなくてはならない気がしたので参拝。辿り着くまでは曇り☁️で、いざ、参拝というタイミングで日が差してきたのです。まるで神様のお力添えを頂けるかのような気持ちになりました。きっと勝利を引き寄せられると思います♪
詳しい説明は他のかたのクチコミにあるので省きます。国引き神話、スポーツ上達で有名な神社ですね。
初めて参拝しました。この神社では国引きジャンボ綱引き大会が行なわれ勝利を引き寄せると言われています。
| 名前 |
長浜神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0853-28-0383 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
2026年8月22日駐車場及び境内本殿周りかなり綺麗を維持されています。ただ参道階段周辺一部は倒木の危険がある箇所が散見されるのと落ちたであろう燈籠の石の放置が気になります。