卑弥呼ゆかりの古墳隣接。
神原神社の特徴
神原神社は古墳の隣にあり、移築された歴史を持つ神社です。
景初三年の銘がある三角縁神獣鏡が出土したことで知られています。
出雲国風土記に登場する神社で、地元の氏神様として信仰されています。
神原神社(かんばらじんじゃ)。島根県雲南市加茂町神原。式内社(小)、旧村社。【祭神】大国主命 磐筒女命 磐筒男命磐筒男命(いわつつのをのみこと)と磐筒女命(いわつつめのみこと)は、日本神話に登場する夫婦の神です。伊弉諾尊(イザナギ)が火の神カグツチを斬った際、剣の血から生まれた刀剣の神(石析神・根析神の次代)であり、経津主神(フツヌシ)の親神とされます。鉄を鍛える「碪(きぬた)」の神格化や、岩の霊威、製鉄技術に関わる神とも解釈され、栃木県の星宮神社などで祀られています。資料によると、旧社地にあった古墳から「景初三年」の銘を有する三角縁神獣鏡が出土したことで知られる。『出雲国風土記』には「神原社」と記され、神祇官に所属しているとある。また、『出雲国風土記』大原郡条の神原郷の項に「所造天下大神之御財 積置給處也(所造天下大神(大国主命)の宝が置かれた場所である)」とも記されている。延喜式神名帳には「神原神社」とある。慶長16年(1611年)の棟札には「神原松井大明神」、前述の『神原神社縁起』では「神原神社松井大明神」「松井神寶大神宮」、享保2年(1717年)に出された『雲陽誌』には「神寶明神」と記されている。ここは大穴持命が神御財=御神宝を積み置かれた所であるとされ、古事記の「出雲国神宝検校」の舞台となったところと言われている。往古は今の赤川の対岸、才明寺の東南に鎮座していたが、低地であるので、西南対岸の神原神社古墳上に移された。この古墳は斐伊川の支流赤川の左岸堤防に接していたため昭和47年赤川改修按張工事に伴なひ、約50m南方に社殿と共に移転された。神原神社古墳旧社地は古墳の上にあった。この古墳は方墳で、復元した場合の規模は29m×25m、高さは5m程と推定される。島根県では最古に属する前期古墳である。昭和47年(1972年)の赤川(斐伊川水系)の改修工事で社地が新堤防域に組み込まれるために神社を南西に50mほど遷移することになり、その際に古墳の発掘調査が行われた。竪穴式石室からの出土品の中に魏の「景初三年」(239年)の銘が鋳出された三角縁神獣鏡があった。この銅鏡を含めた出土品は一括して国の重要文化財に指定されている。出土品は国(文化庁)所有で、島根県立古代出雲歴史博物館に保管。石室は移築された社殿の東側に復元されていて自由に見学できる。とあります。
切妻造妻入り 側面二間・背面一間 心御柱なし 土台建ち側面二間、背面一間は珍しい。
古墳の隣にある神社です。拝殿に書き置きの御朱印があります。
神在祭やそれに纏わる行事がある神社巡りをしており、この度はじめて神原神社にお参りしました。すると、この神社が元は古墳の上に建っており、その古墳から、卑弥呼が魏より授かったとされる銅鏡が出土したと知りました。思いがけず古代のロマン溢れる神社に出会え、お得感のある参拝となりました。
旧社地にあった古墳から「景初三年」の銘を有する三角縁神獣鏡が出土したことで知られています。『景初三年』(魏の年号・239年)卑弥呼が魏に使節を派遣した時、魏が「親魏倭王の金印」、「銅鏡100枚」を渡したと記録があります。この銅鏡が、三角縁神獣鏡と言われています。『出雲国風土記』(AD733)には「神原社」と記され、延喜式神名帳(AD927)には「神原神社」と掲載されています。祭神は大国主神、磐筒男命、磐筒女命です。『出雲国風土記』大原郡条の神原郷の項に「所造天下大神之御財 積置給處也」と記されています。当初は大国主神のみを祀ったものと見られます。宝永5年(1708年)に三刀屋天満宮宮司の広沢漆拾がまとめた『神原神社縁起』では祭神が磐筒男命・磐筒女命と記されています。旧社地は古墳の上にありました。古墳は方墳で、規模は29m×25m、高さは5m程と推定されています。島根県では最古に属する前期古墳です。昭和47年(1972年)の赤川(斐伊川水系)の改修工事で社地が新堤防域に組み込まれるために神社を南西に50mほど遷移することになり、その際に古墳の発掘調査が行われました。竪穴式石室からの出土品の中に魏の「景初三年」(239年)の銘が鋳出された三角縁神獣鏡がありました。この銅鏡を含めた出土品は一括して国の重要文化財に指定されています。出土品は国(文化庁)所有で、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されています。石室は移築された社殿の東側に復元されていて自由に見学できます。
神原神社、島根県雲南市加茂町神原。主祭神=大國主命・磐筒男命・磐筒女命。神原神社古墳=「景初三年」銘の三角縁神獣鏡。近くに著名な場所が多い。神原から見た加茂岩倉といった感。斐伊川が大黒山の裏手に、神の村があるといった想像をしてみる。
素晴らしい神社です。住所宅地の中綺麗にたたずんでる歴史を感ずる神社です❗️
もとは神原神社古墳の上に建てられていましたが、古墳が昭和47年河川改修の堤防敷地に入って消滅することになり、神社も移転されることとなりました。ところが古墳を発掘調査したところ卑弥呼の鏡とも言われる景初三年銘の三角縁神獣鏡などが出土したのです。この地は出雲国風土記の神原郷の項に「所造天下大神之御財 積置給處也」とあり大国主命の宝が置かれたといわれる神聖な場所でした。近隣で銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した荒神谷遺跡、39口もの銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡とあわせ古代出雲ロマンを感じさせる貴重な遺跡のひとつです。
斐伊川の支流、赤川の堤防の上に築かれた出雲地方最古の前期古墳がある神社です。午前中に出雲弥生の森博物館で弥生時代の四方突出墳丘墓を見てきました、墳丘の上に四本の柱を建てて何らかの覆い屋があったようです。ここの神社も、前期古墳の上に建つ神社で正に出雲の最後の王を祀る神社に相応しい神社だと思いました。竪穴式石室は小口持送り式の石室で奈良の纏向古墳群に見られる最前期の古墳の造り方で大和との強い繋がりを感じます。文献上では理解していても、現実に見ると新たに理解出来ることが多くありました。
| 名前 |
神原神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0854-49-7413 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=29905 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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260416小さな神社だけど卑弥呼由来の景初三年銘 三角縁神獣鏡が出土一躍有名に🪞神原という地名も気になる⋯🍀かつてこの地が神事を行う神聖な場所であったことに由来?延喜式に記されている式内社創建時期は詳らかではないが古くから地域の信仰の中心🙏主祭神は天照大御神と素戔嗚尊の誓約によって誕生した五男三女神【三女神】多紀理毘売命市寸島比売命多岐都比売命【五男神】天之菩卑能命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命隣接の赤川改修工事によって神社を移転させるための発掘調査で本殿の真下から古墳が発見この古墳から卑弥呼が中国・魏から授かった鏡景初三年銘 三角縁神獣鏡が出土🪞神社という聖域が古代王の墓の上にある事実この地が特別な場所であった?神社や古墳がパワースポットになっているのはやはり意味があるのかな?境内に竪穴式石室が移築・復元保護屋根の下で露出した状態当時の緻密な石積み技術を観察可能石室からは大量の鉄製武器も出土近くの加茂岩倉遺跡と併せて鉄生産で栄えた古代出雲の勢力を感じる⚔️