隠岐の歴史を感じる神社。
天健金草神社の特徴
御祭神は大屋津姫命と抓津姫命の姉妹神で独特な魅力があります。
延喜式内社に位置する歴史ある神社で厳かな雰囲気が漂います。
隠岐國にある重要な神社として地域の人々に愛されています。
天健金草神社(あまたけかなかやじんじゃ)。島根県隠岐郡隠岐の島町都万。式内社(小)、旧県社。【祭神】大屋津媛命 抓津媛命(つまつひめのみこと) 誉田別命(配祀)息長足媛命 玉依媛命 鹽土老翁 建御名方命資料によると、御祭神は、大屋津媛命、抓津媛命。大屋津媛命はもとは現在地の西南西約kmの、海に接した断崖の下に降臨したという。抓津媛命は、もとは同じく東北北約2kmの挾山涌水、幣池に降臨、その地には今も抓津比売命を御祭神とする幣池神社という小祠がある。この二柱の女神は、神功皇后の西征の際、兄である五十猛神の命により、皇后に奉侍したとも伝わる。第14代仲哀天皇の時代に祭祀された、というのはこのことか。創建は奈良時代の天平勝宝7年(755年)、八幡原に社殿を建立した。幣池の南方約1.5km下流にある天健淵の正八幡宮を合祀したために八幡原と呼ばれるようになった地だという。正八幡宮の御祭神は、応神天皇・息長帯姫命・玉依姫命。平安時代になり、貞観13年(871年)閏8月29日に従四位下、仁和元年(885年)に従四位上、寛平元年(889年)には正四位下に進んだ。延喜6年(906年)、天健金草神の託宣があり、北海に新羅の賊船が数隻浮かんでおり、これを追い返すために大風を吹かせた、という。天慶3年(940年)には従三位に叙された。寛弘3年(1006年)3月、八幡原から現在地に遷座した。中世以降近世までは不詳。一般に八幡宮と呼ばれ続けたらしい。幕末の文久元年(1861年)に焼失したが、元治元年(1864年)に再建された。明治5年(1872年)10月、村社に列し、大正5年(1916年)11月には神饌幣帛料供進社に指定された。昭和9年(1934年)4月には県社に昇格。現在までに、塩土老翁・建御名方命を合祀している。建御名方命は、大正6年(1917年)に合祀した諏訪神社の御祭神。とあります。
読み方は「あまたけかなかやじんじゃ」。御祭神は大屋津姫命、抓津姫命、誉田別尊の三神。魏志倭人伝の投馬国が、隠岐の都万という説を検証に探索しに来ましたが、それでこの地域の古社ということでお参りさせていただきました。その説が正しいかどうかはともかく、神域では、歴史と伝統と信仰から来るパワーを凄く感じ、素晴らしいお宮さんだと思いました。927年の延喜式にも書かれており、創建もそれよりはかなり古いということですから、相当昔から存在していたのは間違いなさそうです。
御祭神は大屋津姫命と抓津姫命の姉妹神。誉田別命も祀られています。創建時期は不明だが900年代前半より以前となっており強い神威を持つとされる。隠岐に流された後醍醐天皇が使いとはいえ島からの脱出を祈願した神社でもある。願いがかなった後に正一位の神階を贈っている。集落に隣接しているが境内は木々に囲まれた山の裾野といった感じでそれほど広くはない。元々の規模は大きかったようです。1863年に造営された本殿はかなり大きめ。茅葺きだった屋根は厚みのある鈑金葺きに変えられています。現在は衰退してしまったが以前は例祭で玉若酢命神社と同様の馬入れの神事や流鏑馬が行われていた。前面道路は幅が狭く駐車は不可。神社の北西に境内へ上がっていく坂に駐車している。ここ以外にスペースは見当たらなかった。坂は未舗装、荒れている。車両で登り上がるのは厳しいと思います。トイレは社務所にあります。
[延喜式内社]隠岐國 隠地郡 天健金草神社。
| 名前 |
天健金草神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=30648 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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隠岐の島町の都万街道近くにあり、かなりの歴史のある神社⛩️だそうです。宿泊先のリゾートアイランドホテルの支配人様にかなりのパワースポット、歴史がある事を教えて頂きお参りさして頂きました。後醍醐天皇様が隠岐の島に流された折に、本島に帰れる様に願い、願かけされて、直後に本島に帰れた逸話が残っている、由緒正しき、歴史のある、願いがかなうと云われる神社⛩️だそうです。本殿等も歴史がかんじられ、地元の方々から愛されている事が、伺い知る事が出来、またひっそりとたたずんでいる感がノスタルジーにかられ私的にはとても良かったです。隠岐の島本島に来れば是非に、お参いりをおすすめするパワースポットだと思います。お参りさして頂き有り難とう御座いました🙇