歴史の息吹感じる蒔田城跡。
朝明殿 長明寺(蒔田城跡)の特徴
戦国時代の蒔田城の跡地が魅力的です。
長明寺が建つ歴史的な場所として親しまれています。
東海道沿いに位置し、堀がしっかり残っています。
現在は長明寺が建っていますが、戦国時代は蒔田城として使われていたようです。堀が残っており綺麗な水が湛えられ、色とりどりの鯉が泳いでいました。裏手にはアジサイの小路、竹林の小径と散歩道として整備されていました。ユニークな人形にも楽しませてもらえました。
東海道沿い、四日市市立大矢知保育園西南に位置。往時が偲ばれるお堀には錦鯉が優雅な泳いでいてとても素晴らしい城跡です。綺麗に維持・管理されています。寿永年間(1182〜1185)に伊勢平氏の一族の平家資(たいらのいえすけ)が富田館と同時期にこの地に築城、四方を素掘りの堀で囲んであった。平氏が滅亡すると、源頼朝は各地の平氏掃討を行い、鎌倉幕府方の大内氏に攻められ、富田館・蒔田館ともに落城する。その後、この地は後白川院の領地となり、都より守護職として藤原宗勝(ふじわらのむねかつ)が蒔田に居館し、蒔田相模守宗勝(まいたさがのかみむねかつ)と名乗る。宗勝は深く、仏教に帰依(きえ)し、この地にお堂を建立し、長明寺の基となる。現在、宗勝の墓は西富田町の三光寺本堂南側にある。
城跡だったの?お寺さんだし家は檀家だし。
しっかり堀が残っています。
| 名前 |
朝明殿 長明寺(蒔田城跡) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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現在長明寺がある場所には、まず平安時代末期に伊勢平氏の一族だった平家資により蒔田館が建てられ、壇ノ浦の戦いによる平氏滅亡後は守護職蒔田宗勝が入り、戦国時代は蒔田城となって春日部家春が城主となりました。その蒔田城も織田信長の北勢侵攻により落城してしまい、その後江戸期になって城跡に現在の長明寺が建てられました。建物の遺構は残っていませんが、寺を囲う水堀が現存しています。