嵯峨天皇の隠れた名所、紅葉の深まる秋。
嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓の特徴
嵯峨天皇の皇女、有智子内親王の墓です。
大同4年に建立された由緒ある史跡です。
外見の写真撮影が可能なスポットです。
裏にススキいっぱいあったり周辺近くをトコトコ🚶♪秋らしい紅葉楽しめました🍁🍂✨写真最後は嵐山⛰️🤭💓
京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町にある嵯峨天皇の皇女有智子内親王の墓です。落柿舎「らくししゃ」の西に隣接して平安時代の第52代・嵯峨天皇皇女・有智子(うちこ)内親王墓の小円墳があります。有智子内親王(807-847)は、初代・賀茂斎王(いつき-の-ひめみこ)になった。女性神職である賀茂の斎王は、810年の有智子内親王から、鎌倉時代の1221年の第82代・後鳥羽皇女・礼子(いやこ)内親王まで、35代、約400年間続いいています。アクセスは、京福電鉄嵐山駅下車 徒歩13分 又は JR嵯峨嵐山駅下車 徒歩15分。
嵯峨天皇第8皇女であり、漢詩人、初代賀茂斎院となった人物。
嵯峨野天皇 有智子内親王墓大同4年(809年)、父の嵯峨天皇が即位。弘仁元年(810年)、4歳で賀茂斎院に卜定される。同9年、斎院司開設。同14年(823年)2月、三品に叙され封100戸を賜る。同年4月、嵯峨天皇が譲位する。天長8年12月8日(832年1月14日)、病により退下。同10年(833年)、二品に昇叙。承和14年(847年)薨去。享年41。有智子内親王は弘仁元年(810年)の薬子の変をきっかけに、初代賀茂斎院に定められたと言われる。嵯峨天皇の皇子女の中でも豊かな文才に恵まれた皇女で、弘仁14年(823年)嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩をものしたことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したという。その詩作は『経国集』などに合計10首が遺されており、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。陵墓は京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町、落柿舎の隣。
宮内庁管理なので、外見写真のみです。
有智子内親王は第52代嵯峨天皇の第8皇女である。生誕は平安時代の大同2年(807年)、日本史上数少ない女性漢詩人の一人である。承和14年(847年)逝去。
嵯峨天皇の第八皇女で初代加茂斎王。京都三大祭のひとつ葵祭の斎王代のモデルかも。幼い時から漢詩に抜群の才を発揮したと伝わる。落柿舍横だが、元は彼女の春日山山荘の跡と伝わる。中を覗くと小さな墳墓の前に墓碑が建つ。葵祭に来られた方にはぜひ訪ねて頂きたい。春光初動寒猶緊日射しが春っぽくなったけど寒さはきびしい一株梅花雪裡開梅が一株、雪に埋もれながら花を咲かせてる想像宮中嬋娟處思い出すのは華やかな宮中のこと暗知黄鳥梢相催ふと鶯のさえずりに気づいて、寂しい斎院にも春が来るって実感するの誤訳のツッコミはなしで。
目の前が開けたとても良い場所です。
嵯峨天皇の皇女、有智子内親王の墓ですよ。落柿舎に向かう途中、気が付きました。目立たない場所に、ひっそりと佇んでいました。天皇の皇女が、寂しいなぁという感じでした。せめて、お父上である天皇陵に御一緒できたら、良かったのになぁと思いました。でも、宮内庁で管理しているので、きちんとしたお墓でした。
| 名前 |
嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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嵯峨天皇さんは有名。この方は知りませんでしたが、落柿舎が出来た頃は案外、無かったのかもネ。伝○○みたいな。幕末にかなり大掛かりな天皇陵の整備がされたらしい。詳しく発表されて居ないのは今も昔も庶民は蚊帳の外。今も「元江戸城」を魔改造している変な人たちが居るみたいだけど、あんな予算があれば岡山城位の天守閣なら再建出来るかもと思いましたよ。振り返ると「小倉あん」の伝承の案内板が田んぼの中に在ったり、向かいの幕末の英傑?の像の植え込みに「坂本龍馬の辞世の句」の案内板が在ったり、この辺りは実は、アノ「定家の山荘」が在ったのかも資料が出ました案内板が在ったりする。楽しい。