歴史と自然の共演、城跡散策。
防己尾(つづらお)城跡の特徴
防己尾城跡は羽柴筑前を撃退した名城です。
自然豊かで軽いお散歩に最適な公園です。
戦国時代の歴史を感じる場所として魅力的です。
駐車場があり、そこからだとすぐに登れます。登山道も整備されており、登りやすい城跡でした。
鳥取市内まで後少し、順調順調。日本一大きな池らしい。に、突き出るような丘陵地、守りも固く、平山城の部類。城娘のキャラからどんなものか?と、期待の上訪れる。公園整備中の工事中かなと思われる駐車場に、車停め、暫し案内板を眺める。こっちの尾根だよね。と、坂道を登り始める。そんなに比高ないので、さっと登れる。先ずは、池側の本丸へ。平面研削地に、水平線の向こうが方角的に鳥取城かな?と、眺める。ここで秀吉さんと一悶着してたのか?竹槍戦術炸裂。なるほどね。もう一つの尾根伝、二の丸へ。ほう、こちらの方が、山城っぽい。曲輪も続き、雰囲気ある。公園化もされ、チョット攻城感は、薄いけど貴重な遺構で、いいんでないかい。
へら釣り最高。
10代の時行った記憶有りますが、殆ど覚えてない。鳥取市民も、あまり知らないかも?若い人々。
湖山池を背にした要害で秀吉の鳥取城攻めに伴って幾度か攻められたがその度に退けたという名実ともに堅固な城。頂上は展望台や広場になっていて、そこまでの散策路は割と整備されており、30分程度で気軽に攻城できる。天気が良ければ池の向こうに鳥取城が見える。
うを!!ここにも田中さんいた。歴史的考察の良いところは田中さんに任せて、自分自身の感想です。本丸跡?までの道は鳥取城ほどではありませんが、体力の落ちた身には割と応えました。景色としては物見台跡からの方がいいですね。ここから大声で指示を出せば青島あたりまでなら瞬時に伝令が通りそうです。秀吉を1度は撃退できたのもうなずけますね。あと、亀井 茲矩許すまじ、ググってみたら更に許すまじ。
永禄、元亀、天正時代(戦国織豊時代)因幡の国の守護職は山名氏が勤めていました。その配下にこの地の武将吉岡将監定勝は天正9年に「防己尾城」を築城しました。☺️城跡の造作を歩き当時の動乱を生き抜こうとした強者(つわもの)たちのエネルギーを感じました。「う~ん、こんな坂道を鎧、兜を身につけてかけあ上がり、かけ降りたのか!」。吉岡氏は毛利勢に味方し鳥取城へ食糧、武器を輸送する戦略でしたが、いち速く羽柴秀吉に見抜かれ、湖山池湖上にて秀吉軍と戦います。敵方の有力な武将を打ち取り、秀吉方の千成りびょうたんの馬旗を奪う等善戦しました。防己尾(つづらお)山を下り湖山池と接した所は船が出入りした跡が残っています。この辺りは確かに古戦場でした。
永禄、元亀、天正時代(戦国織豊時代)因幡の国の守護職は山名氏が勤めていました。その配下にこの地の武将吉岡将監定勝は天正9年に「防己尾城」を築城しました。☺️城跡の造作を歩き当時の動乱を生き抜こうとした強者(つわもの)たちのエネルギーを感じました。「う~ん、こんな坂道を鎧、兜を身につけてかけあ上がり、かけ降りたのか!」。吉岡氏は毛利勢に味方し鳥取城へ食糧、武器を輸送する戦略でしたが、いち速く羽柴秀吉に見抜かれ、湖山池湖上にて秀吉軍と戦います。敵方の有力な武将を打ち取り、秀吉方の千成りびょうたんの馬旗を奪う等善戦しました。防己尾(つづらお)山を下り湖山池と接した所は船が出入りした跡が残っています。この辺りは確かに古戦場でした。
永禄、元亀、天正時代(戦国織豊時代)因幡の国の守護職は山名氏が勤めていました。その配下にこの地の武将吉岡将監定勝は天正9年に「防己尾城」を築城しました。☺️ 城跡の造作を歩き当時の動乱を生き抜こうとした強者(つわもの)たちのエネルギーを感じました。「う~ん、こんな坂道を鎧、兜を身につけてかけあ上がり、かけ降りたのか!」。 吉岡氏は毛利勢に味方し鳥取城へ食糧、武器を輸送する戦略でしたが、いち速く羽柴秀吉に見抜かれ、湖山池湖上にて秀吉軍と戦います。敵方の有力な武将を打ち取り、秀吉方の千成りびょうたんの馬旗を奪う等善戦しました。 防己尾(つづらお)山を下り湖山池と接した所は船が出入りした跡が残っています。この辺りは確かに古戦場でした。
| 名前 |
防己尾(つづらお)城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
秀吉の鳥取城攻めの際には、奇襲で羽柴軍を悩ませた城、と解説板にありますので、寄せ手の背後を突く、水城的な立ち位置だったのでしょう。雨上がりに伺うと、本丸にはモグラ塚があったり、城主(?)の亀がいたりと、まことに自然豊かな本丸でした。駐車城からはつづら状の階段を登ってしばらくすると曲輪っぽい縄張りが見えてきまして、天守は一段高くなっております。