歴史深き兵主神社の謎。
大生部兵主神社(豊岡市奥野)の特徴
弘仁元年創立の歴史深い大生部兵主神社です。
有庫兵主大明神として地元に崇められています。
延宝2年に再造された本殿が見どころです。
『創立年月不詳なれども弘仁元年(810)此地に兵庫を建て在庫の里と云ひ兵主の神を祀りて兵主神社と称せしが神社所在地の地名を冠し俗間に有庫兵主大明神とも称し奥野、穴見市場の二村の産土神たりしにより一に奥野兵主大明神とも崇めたり 中古以来有庫神社とのみ称し市場村と分離し二社となせし由を伝ふ延喜式の制小社に列し延寶2年(1674)本殿を再造し寛政3年(1791)社頭回禄に罹りて再建せり 明治初年(1868)神社取調の際豊岡縣に於て大生部兵主神社と確定し同6年(1873)10月村社に列し同12年(1879)明細帳提出の際官簿に有庫神社と記載しあるを発見し同14年(1881)現在名に復称の許可を得たり。』以上、兵庫県の神社庁の由緒書きより引用させてもらった。「兵主神社」というのは奈良県桜井市の「穴師坐兵主神社」と滋賀県野洲市の「兵主大社」が有名だが、こちらから勧請されたというより各地に武器庫があってその守り神としてそれぞれに祀られていた神さま、ということだろうか。滋賀と奈良の御祭神は「八千矛神」だが、この神さまは「大己貴命」と同体だそうだから、こちらの御祭神と一致する。しかし不思議なのは、この有名な滋賀と奈良の名神大社以外の多くの「兵主神社」が兵庫県に集中し、なおかつその大半が豊岡市近辺にあること。なんらかの理由があるんだろうけどね。やはり渡来人の集団がこの近辺に定住したことと関係があるのだろうか。天日矛のグループとか。
| 名前 |
大生部兵主神社(豊岡市奥野) |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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大生部兵主神社(おおうべひょうずじんじゃ)。兵庫県豊岡市奥野。式内社(小)論社、旧村社。【祭神】大己貴命資料によると、創祀年代は不詳。一説に、弘仁元年(810)、当地に兵庫を建て、在庫の里と呼ばれて兵主の神を祀り、兵主神社と称したという。後に、有庫兵主大明神とも称し、奥野と穴見市場の二村の産土神であったが、中古、二村が分離したため、市場にもう一つの有庫神社を祀るようになった。延暦二年(1674)本殿を改築、寛政三年(1791)火災により焼失したため再建された。式内社・大生部兵主神社の論社の一つ。祭神は大己貴命だが、異説として素盞嗚尊を祀るという。また、常陸国鹿島からの勧請とする説もある。とあります。