古墳の上に鎮まる忍陵神社。
忍陵神社の特徴
忍陵神社は合祀された馬守神社があり、馬の牧場を守る神社です。
古墳の上に建つ神社で、歴史的な遺物が多く出土する地域です。
元々は津桙氏の氏神として熊野から勧請されており、その名残があります。
古墳付きの歴史ある神社のようです。のワリには人影もなく、御朱印もお持ち帰り式の静かな神社です。神社南側には公園がありますが、なんか変な人ばっかりで、足早に神社を後にしました。
大阪に岡山城があるんですか。googleMapsで出てきたので行ってみたのですが、現在は神社です。大昔は古墳だったそうです。その場所を大坂夏の陣で徳川秀忠の本陣として使用されたというから、すごい場所なんですね。
古墳が見つかた事で有名ですが馬守神社を合祀した神社でもあります馬守神社はかつて四條畷市辺りに大規模な馬の牧場が有りそれらを守る為に建てられた神社です日本書紀に出くる河内馬飼首荒籠はこの辺から東大阪位まで支配地域だったとか。
四條畷市にある、由緒ある神社⛩です。四條畷住みが長いですが、はじめお祀りさせていただきました。忍陵神社が神社的には正しい名前なんでしょうか?古墳は岡になってますし高台にあるから丘なのかなぁ?大阪夏の陣で徳川秀忠の本陣があったと書いてますね、他の方が遠いのでそれは無いと書かれてましたが昔はここから大阪城は見えてたはずですし、今も城見のビル街は見えますよ、近くに東高野街道や清滝街道もあるのでここに陣を張る事もあったのでは?小楠公と高師直の戦った河原も近いし、御勝山と言う地名を残して欲しいですね市民としては、隣のハイツは御勝山ハイツなのに。駐車場は坂を登って神社の横にあります。
小職の店の氏神さまです!最寄りの忍ヶ丘駅の駅名の由来になった神社で小高い丘の上にあってほんまに雰囲気漂う神社です実際境内には古墳の石室が保存されてたりあの大坂夏の陣においては徳川の本陣が置かれてたりと歴史オタクには垂涎の場所だと思いますー笑中学校のときの先生が忍陵神社の境内と大坂城のてっぺんとが同じ高さって言っててその真偽は定かではありませんが安土桃山の頃の時代やったら忍陵神社の境内から大坂平野が見渡せたのはよくわかります!色とりどりの旗や鎧がひしめき合ってさぞかし壮観やったんやろなー😃
古墳の上に建ってる神社です。日本でかなり古い前方後円墳です。4世紀前期の建造の古墳です。日本最古の箸墓古墳の3世紀中頃建造ですから、かなり古いです。古墳好きな人は神社参拝して横穴式石室見に行きましょう。
本殿の正面にある鳥居側に社号標もあり表参道と思われるのですが東側鳥居の方に参拝者駐車場があります元々は豪族津桙氏の氏神として熊野三山より岡山八幡山へ熊野皇大神を勧請その名残と思われる併設する岡山行者堂(管理は神社とは別)また、岡山鎌足大明神として大和多武峯(※談山神社)より勧請。wikiなんかだと藤原鎌足公のみが主祭神って書いてあるんですけど御由緒を元に読み解くと勧請された二柱とその豪族津桙氏そのものが祭神であると考えた方が良さそう忍岡古墳から出土した石室がありまして、格子から覗くと石室がクッキリハッキリこれはなかなかに興味深い。
JR忍ケ丘駅から徒歩10分くらいの所にあります。少し道は狭いですが車でも行けます。急な階段を登ると、途中に少し低めの鳥居があります。神社は小高い丘の上にありますが、これは前方後円墳の上に神社が築かれているからです。本殿の隣には石室があります。また、大坂夏の陣の際には徳川秀忠の本陣が敷かれたそうです。
家の近所の神社です、古墳の上にある、この地区はどこを掘っても土器が出土する、歴史は古く、集落があった様子である。忍陵神社(しのぶがおかじんじゃ)は、大阪府の四條畷市にある神社である。式内社で、旧社格は村社。神社名は、附近にある忍ケ丘駅の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもあります。神社は忍岡古墳の丘の上にあり、戦国時代に岡山城が築かれた地といわれている。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、徳川方の本陣として同地が使われ、勝利した事から縁起の良い所として御勝山とも称されるようになるが、当時の遺構は殆ど破壊されており 今では名残を見る事は出来ません。
| 名前 |
忍陵神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-877-1850 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
http://osakadai3shibu.kilo.jp/jinja/sijounawate/jinja/sumiyosihirata.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
〒575-0002 大阪府四條畷市岡山2丁目7−12 忍ヶ丘神社 |
周辺のオススメ
忍陵神社(しのぶがおかじんじゃ)。大阪府四條畷市岡山。式内社(小)津桙神社(ツホコノ)、旧村社。主祭神:藤原鎌足 (配祀)熊野大神 品陀和気命 馬守大神 (合祀)大將軍神【関係氏族】津桙氏(つほこし)資料によると、忍岡古墳の墳丘上にあり、戦国時代に岡山城が築かれた地と伝えられる。旧社地は現在地の東方約900mの坪井地区・通称赤山にあったという。天武天皇の御宇、役優婆塞の開基との伝承がある。当初はこの地の豊穣を祈願して、農業神を祀つたものであろう、のちこの岡山地域の豪族津桙氏の祖神を祭るようになつたと考えられる。その後改新政府の成立によつて国家神を奉祀するようになり、応神天皇を氏族神とするに至つた。平安期になつて、蟻の熊野詣といわれる程に熊野参詣が行なはれるようになると、熊野への参詣の街道筋となっていたため、その御利益を願つて、熊野大神を合祀するようになつたと思われる。また、社伝によれば寛永十一年(1634年)に「藤原鎌足公」が現在地に祀られたと伝えられています。藤原鎌足公が祀られた理由は不明。当社に合祀された中に、鎌足社と言うのがあり、現在の社地の忍陵の古墳の上に鎮座していたとあり、合祀の時期の情報がない。そのことから、1634年に「藤原鎌足公」が現在地に祀られたと言う伝えから、当社(津桙社)が忍岡古墳の墳丘に遷座した時期をこれと判断して、当社の主祭神が藤原鎌足とある事に関する事情がそこにある様に考えます。明治44年、津桙神社に近隣の2社、馬守神社(祭神 馬守大神)・大将軍社(祭神 大将軍神、方位の神)を合祀とともに「忍陵神社」と改称した。現在本殿のある所は、元和の役(大坂夏の陣)に井楼の設けられた築山という。とあります。