舞鶴市の伊智布西神社、神秘を感じる場所。
伊智布西神社の特徴
京都府舞鶴市の旧丹後国、加佐郡に位置しています。
覆屋によって本殿は見えず、独特の体験ができます。
国道の対岸にあり、アクセスも良好です。
伊智布西神社、京都府舞鶴市桑飼下。主祭神=伊奘册尊。境内社、神明=国常立命、稲荷=保食神、三柱=奥津彦命・奥津姫命・火産霊命、兵主、八坂=素盞鳴尊、水無月、地主、秋葉、愛宕、稲荷。桑飼下縄文遺跡跡。由良川を前に谷へ鎮座。
旧丹後国加佐郡の式内社です国道の対岸の道沿いにあります駐車場はありませんでした本殿は覆屋によって直接見ることは出来ません。
伊智布西神社(いちふせじんじゃ)は京都府舞鶴市の南西部。京都府舞鶴市桑飼下の府道55号沿い北西の山側に鎮座する神社です。ご祭神伊弉册尊道振命(丹後旧事記)市布施明神(丹後加佐郡旧語集)旧社格村社加佐郡11座の式内社(小社)地域住民から大切にされているようで、綺麗に整理されてます。境内には灯篭、鳥居、社号標石、節末社、狛犬、本殿などがあります。「伊知布西神社」と刻まれた社号標石が府道55号沿いの参道入口に建てられています。社号標石のそばには「桑飼下縄文遺跡碑」と刻まれた自然石が建っています。鳥居は台輪鳥居で「伊知布西神社」と記された扁額がかかっています。覆屋の中の流造の本殿にも狛犬が一対配置されています。摂末社は、稲荷神社、愛宕神社、秋葉神社、三柱神社、八坂神社、水無月神社、地主神社、鎮守荒神、神月神社など。社頭案内板は文字が部分的に消えているため完全には判読不可能ですが、概ね下記の内容一、社名伊智布西神社一、社格村社一、祭神伊弉冉尊一、創建年 月 日一、由緒延喜年中、帝都雷鳴之節御祈願ニヨリ、延喜五年(905)乙丑御造営有之、其ノ頃村名、伊智布西村ト唱ルニヨリ伊智布西神社ト御称號有之旨申シ傳候、明和三年丙戌(1766)秋八月八日再建…以降判読不可能(2021/4/26撮影)
| 名前 |
伊智布西神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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伊知布西神社(いちふせじんじゃ)。京都府舞鶴市桑飼下。式内社(小)、旧社格不明。【祭神】伊弉册尊資料によると、創祀年代は不詳。社伝によれば延喜五年(905)の造営という。式内社・伊知布西神社に比定されている古社。桑飼下の集落は、もとは、当社の北側、由良川の堤防上にあったが、明治末期の大洪水で山麓の高地へ移転。河川改修の際に、縄文・弥生時代から奈良・平安時代にかけての遺物住居跡が発見されたというほどの、古い土地。よって、当社の創祀もかなり古い時期なのだろうと思う。当時の村名を「伊智布西」と言ったことから社号としたという。現在の祭神は伊弉册尊だが、『丹後舊事記』には道振命とあり、『丹後加佐郡舊語集』には「市布施明神 氏神」とある。とあります。参考として、道振命(みちふるみこと)は、『日本書紀』や『古事記』に登場する古代日本の人物で、大伴氏の祖先です。神武天皇の東征において、先鋒として八咫烏に導かれ、久米部を率いて菟田への道を開いた功績から、道臣命(みちのおみのみこと)と名乗るよう神武天皇に命じられました。とあります。