歴史の境界、津軽&南部の発見。
藩境塚の特徴
津軽藩と南部藩の藩堺を示す歴史的な場所です。
陸奥湾を見渡せる絶景ポイントも備えています。
国道4号の起点から700㎞の標識が近くにあります。
国道4号線沿いに藩境塚への駐車場がある。駐車場に入り、国道に向かって右手にある道を海に向かうと、土盛りした「藩境塚」が見えてくる。江戸時代の南部領と津軽領の境界の目印として作られた。塚の直径はおよそ10m、高さ3.5mほどで、南部・津軽それぞれ2基ずつあり通称「四ツ森」と呼ばれている。
駐車場の脇から下りていくと整備された広場と丘、そして目印のようなものと小川がある。海に掌ぐらいの蟹がいた。子供はフナムシを怖がっていたが、帰りの坂で「ジブリみたい!」と言っており、少しの滞在だったが楽しめていた様子。
今から30年前出稼ぎが多かった時代に弘前、青森から来た人と八戸から来た人は昔の遺恨で凄く仲が悪かったです見てられない位の罵声(理解はできない)を八戸の人に浴びせてました言葉も同じ県なのに青森と八戸は違うので不思議に思っていました時代は変わり今は無いですが青森の歴史があり、ここに来てもう一度勉強しようと思いました。
津軽藩と南部藩の藩堺。ほんとに小さな小川があるけど、ここで分かれるらしい。ここを境に方言も変わるとのこと。ここに限らないけど、すぐ隣なのにそれぞれ独自の文化が育まれるのは興味深い。
青森県の津軽藩と南部藩は有名な話ですが、その境がどこなのかはっきりわからない人は多いはず。それが、この藩境塚です。平内町と野辺地町の町境の国道4号線沿いにありますが、よく見ないと見落としてしまうことがあると思います。国道沿いの駐車場に車を停めて、海岸方向に歩いていけば、柱が2柱建っていてすぐわかります。近くには、説明書きもあり、歴史に触れることが出来ますよ。
Wikipediaからの転載馬門(南部側、野辺地町)と狩場沢(津軽側、平内町)は、いずれも奥州街道沿いで隣接する集落で、距離にしておよそ1kmほどのへだたりでしかない。しかしこの間に藩境があり、目印に藩境塚が設けられている。藩境塚は、旧藩境と方言の境界が一致している日本唯一の例であり、こんにちでもこの二つの集落は市町村が異なるので、小学生は必ず別の小学校に通うことになるため、方言の境界が守られるのである。
この場所で南部と津軽が分けられているところ。つまり、南部藩と津軽藩の境界線です。
初めて来た時は、いつも通る国道沿いにこんなちょっとした良い場所があったのかとちょっとした発見をした気持ちでした。あるのは海とベンチと、盛り土の様な塚と桜の木ぐらいですが、歴史が違えばここが県境になってたかもしれないな、などと思いを巡らすとなかなかオツかもしれません。
青森県の津軽藩と南部藩は有名な話ですが、その境がどこなのかはっきりわからない人は多いはず。それが、この藩境塚です。平内町と野辺地町の町境の国道4号線沿いにありますが、よく見ないと見落としてしまうことがあると思います。国道沿いの駐車場に車を停めて、海岸方向に歩いていけば、柱が2柱建っていてすぐわかります。近くには、説明書きもあり、歴史に触れることが出来ますよ。
| 名前 |
藩境塚 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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青森市から南下したところの国道沿いの左側(海手側)に、「馬門御番所」と書かれた建物があり、そこに駐車スペースが設けられているようでした。ただ、私はその場所を知らなかったため、手前の国土交通省「もしもしピット」のスペースに車を止め、見学してきました。