寛文四年の歴史を感じる三田上水。
三田上水は寛文四年に玉川上水の水を下北沢付近で分水したものです。代田、代々木、渋谷、目黒を経て現在の白金台、高輪、三田、芝地区に配水されていました。享保七年に廃止されましたが、流域の村々の農業用水でもあったため、三田用水と名前を変え一宿十三ヵ村の用水として使用されました。ここはかつて三田用水に架かっていた今里橋の跡で、かろうじて橋の欄干が残されています。後ろの細い民家が流路の跡で、この先の下流側にも暗渠や水路の跡を見ることができます。この辺りは昔、芝白金今里町という地名でした。環状4号線の工事が始まるとおそらくなくなってしまうので、早めに見ることをお勧めします。
| 名前 |
今里橋跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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三田用水に掛かっていた橋跡の様である。コンクリート造の欄干,サイフォンの原理を利用した上水道パイプと思われるもの,親柱基壇と思われる赤レンガを確認できる。後方に,両手を拡げていっぱい程度の細長い民家があるが,これは三田用水を埋め立てた土地の上に建てられたのだろう。『高輪今昔物語』によると,竣工は1930年とのこと。