蕨の隠れた名刹、三学院の藤。
極楽寺 三学院の特徴
蕨市にある金亀山極楽寺は、立派な三重の塔が特徴です。
季節ごとに楽しめる美しい藤の花が見どころで、藤まつりも開催。
近代的に整備されたお寺で、広い駐車場があり参拝しやすいです。
いつも手入れが行き届いたお庭をどなたも拝見できる開かれたお寺です。季節とともに移り変わる木や花の美しさと、時折聞こえる鳥のさえずりに癒やされます。今年は遅めの金木犀ですが、10月20日、境内のそこここで満開でした。枝垂れ桜、鬱金桜、芝桜、藤、牡丹、アガパンサス、蓮、花菖蒲?金木犀、銀木犀、カエデなど。メダカや鯉に会うのも楽しみです。
地元にもこんな大きなお寺があるのだと誇らしい気持ちになります。毎年藤の花がとても綺麗です。巨大な仏像とお堂がたくさんあって立派だなと思います。
三学院という真言宗智山派総本山智積院の末寺で正式名称は金亀山(こんきさん)極楽寺三学院といいます。開山は長徳4(998)年と歴史は古く、徳川家康を始めとする歴代の徳川将軍から朱印状が授与されたことがある由緒あるお寺ですこのお寺では、目疾地蔵という目の病気にご利益のある珍しいお地蔵さんと出会うことができました。
創建年不詳。本尊は十一面観音。過去に発生した火災による記録が失われたため、創建年は不明ですが、本尊の十一面観音像は平安後期に作られたものであり、その頃にはこのお寺があったと言われます。いずれにせよ、とても立派な伽藍を持ったお寺なので、昔から強い力をふるっていたのだと思います。1591年関東の領主となった徳川家康がこのお寺に朱印状を出し、20石の寺領を与えました。現在もこのお寺には14代将軍・家茂までの歴代将軍が発行した朱印状が所蔵されています。1942年に南京に駐在していた日本軍が三蔵法師の霊骨を発見し、当時南京にあった汪兆銘政府(南京政府=日本の傀儡政権)に引き渡しました。汪兆銘政府は霊骨塔を建立し、霊骨の一部を日本の分贈することを申し出ました。その際に、このお寺の当時の住職・倉持秀峰和上が日本佛教連合会の代表として三蔵法師の霊骨を日本に奉持しました。現在もこのお寺の仏舎利殿には三蔵法師の霊骨が納められています。木造十一面観音菩薩立像や徳川歴代将軍の朱印状、子育て地蔵、六地蔵石仏、目疾地蔵など多くの蕨市指定文化財があります。
三重の塔があると聞いて、始めて参拝しました。中山道に近い市街地内にありながら本堂や阿弥陀堂のほか大きい建物が建ち並び、三重の塔や三蔵法師霊骨の金亀舎利塔などもあり、規模の大きい印象を受けたお寺でした。本堂脇の弘法大師像まで巨大でした。江戸時代には、徳川家康以後の歴代将軍から寺領を寄進されていたそうですが、過去には火災も経験しているそうです。比較的新しい建物が多く、再建の大変さが想像されました。金亀山極楽寺三學院の寺号にちなんだ金色の霊亀が手水舎に鎮座しておられました。学校の様な名前ですが、一説には鎌倉時代から戦国時代にかけて三學坊と称する修験の寺であったとも言われていたとの事でした。江戸時代には、真言宗智山派の著名な学問寺「関東十一談林」の一つとして多くの学僧が集まっていたそうです。
ー 2024年9月5日(木) ー【三学院】[山号]金亀山[寺号]極楽寺◾素晴らしい場所。興味のある方は是非一度だけでも訪れてみて下さい。◾寺院に纏わる細かな情報等は、三学院のHP等で知る事が可能です。[三学院保有・蕨市指定有形文化財]・十一面観世音菩薩立像・梵字馬頭観音塔・子育地蔵・六地蔵石仏・地蔵石仏・徳川将軍家朱印状・宝篋印塔宝永二年銘・宝篋印塔寛政九年銘・阿弥陀一尊画像板碑・木食観正塔・三学院の藤・蕨宿関係墓石群・石川直中墓碑 (三学院のHPから引用)[御本尊]十一面観世音菩薩立像[宗派]真言宗智山派【開門時間】(9:00〜17:00) 🅿 (有り)[アクセス]蕨駅 (西口) 〜蕨市コミュニティバス [西ルート] に乗車、三学院で下車。
近くに三重塔があるお寺があるとは思いませんでした。牡丹など、綺麗な花も咲いていて、京都のお寺にも負けないくらい立派です。旧中仙道の宿場町蕨良いところです。
こんな立派なお寺が近所にあるとは存じませんでした。建立は不明とされているものの、戦国時代末の元亀(1570〜1572年)頃や平安時代の長徳(995〜999年)頃の建立とされているようです。仁王門をくぐり中に入ると、境内には鐘楼、三重塔、不動堂、弁天堂などがあります。参道には立派な地蔵堂もあり、時間をかけてゆっくりお参りしたい所です。
今日は蕨市にある三学院というお寺様に参りましたが、その規模や出来栄え、ディテールにこだわりが、しっかりと詰まった質感など、どれを取っても素晴らしかったです。(^^)自宅の浦和からこんなに近くにあるのに、妻も私も初めての訪問でした。どなたでもお参りできるように、とても美しく整理整頓されています。(^^)院内に咲いた水仙の花々にも癒やされました。❀❀❀
| 名前 |
極楽寺 三学院 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
048-443-2125 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~17:00 |
| HP |
https://www.city.warabi.saitama.jp/shogaigakushu/bunka/1011692/bunkazai/1003478.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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近くにあるのは知ってましたが、今回初めて訪問しました。予想以上に、大きな寺院で、ちょっとビックリしました。なぜこんな場所にこんな巨大な、真言宗の寺院があるのか、わかれば、随時追加記載しようと思います。今回はとりあえず、写真をアップしておきます。資料や各種サイトによると、平安時代中期の長徳四年(998年)に開山したらしいです。以後、鎌倉時代から戦国時代については不明であるが、一説には、三学坊と称する修験の寺であったともいわれています。以下引用です。【三学院の中興開祖といわれているのが宥盛(ゆうせい)である。宥盛は、関東の真言宗を発達させた印融(いんにゅう)の法脈を継承し、徳川家康の帰依を受けた人物であった。以後、江戸時代を通して関東七箇寺として重きをなし、さらには真言宗智山派の関東の学問寺としての十一談林の一角をなし、多くの学僧が集まり、優れた僧侶を輩出した。江戸時代には、伽藍も整備され寛文年間から元禄年間(1661年~1704年)までには大体できあがっていたと思われる。しかし、享保十年(1725年)をはじめとして度重なる火災被害にあっており、仁王門のみが江戸初期のものといわれている。このことは、昔話として「火伏せ地蔵さん」「仁王門のリュウ」などに伝わっている】平安時代後期に創建され、鎌倉~江戸にかけて主に学問の寺院として発展したようです。名前の由来もその当たりにありそうです。関東でも、有数の寺院として江戸時代までは知られていたようです。度重なる火災で、建物、宝物を失い、建物が全体に新しいのもそれ故だと思います。巨大な規模の割に、それほど知名度がないのも、そういう歴史から来るものなのかもしれません。