元禄の魅力、淡島明神参拝。
淡島堂(浅草寺)の特徴
昭和38年に建立された旧石灯籠が美しいです。
明治二十五年の酒井亀泉製作の燈籠が歴史を感じさせます。
子供しかくぐれない小さな穴のある燈籠が印象的です。
淡島堂あわしまどう女人守護のお堂元禄年間(1688~1704)、紀伊国(現在の和歌山県と三重県南部)加太の淡島明神を勧請して建てられた。現在の建物は、ひと時ご本尊様をお守りしたことがある。東京大空襲で本堂が焼失した後、仮本堂となったのである。やがて影向堂として現二天門の南に移り、平成6年に今の地に移築される。加太淡島神社の祭神は少彦名命で、淡島という小島に鎮座しているため、淡島明神の俗称がある。このことから浅草寺では淡島堂と呼んでいる。淡島堂には、本尊の阿弥陀如来像、淡島明神像と本地仏の虚空蔵菩薩像、取子地蔵尊などが安置されている。本地仏とは、日本の神は、仏教の仏が姿をかえて現れたものとする本地垂迹説によるもので、神の本当の姿である仏を指す。淡島明神は女性の守り神として信仰を集め、江戸時代は「淡島の願人」と呼ばれる人びとがおり、江戸市中で婦女子に淡島明神の信仰を説いてまわっていた。現在、淡島堂を中心とした行事に、2月8日の針供養会がある。浅草寺HPより。
加太淡島神社の祭神は少彦名命で、淡島という小島に鎮座しているため、淡島明神の俗称がある。このことから浅草寺では淡島堂と呼んでいる。淡島堂には、本尊の阿弥陀如来像、淡島明神像と本地仏の虚空蔵菩薩像、取子地蔵尊などが安置されている。本地仏とは、日本の神は、仏教の仏が姿をかえて現れたものとする本地垂迹説によるもので、神の本当の姿である仏を指す。淡島明神は女性の守り神として信仰を集め、江戸時代は「淡島の願人」と呼ばれる人びとがおり、江戸市中で婦女子に淡島明神の信仰を説いてまわっていた。2月8日は針供養会が模様されます。針供養とは折れた針や錆びた針を供養する行事で、淡島神社や淡島神を祀る堂宇を中心にして、全国的に催される風習である。その供養の方法は一般に、やわらかい豆腐や蒟蒻に針を刺して針に感謝し、針仕事の上達、無事を祈るというもの。浅草寺には淡島堂が建立されており、江戸時代に淡島明神の功徳を説き歩いた「淡島願人」の影響により、針供養の慣習が盛んになったと考えられている。浅草寺の針供養では、日頃針仕事に携わる女性を中心に、堂内に設けられた豆腐に針を刺して祈りが捧げられ、終日多くの人びとで賑わう。
なんかドラマちっくな生涯を送ったおばあちゃんの石像。
元禄年間(1688年~1704年)に紀伊国加太の淡島明神を勧請して建てられたお堂です。太平洋戦争の東京大空襲で本堂が焼失した際に浅草寺の仮本堂として御本尊をお守りしたことがある。淡島堂内には御本尊阿弥陀如来像・淡島明神像とその本地仏の虚空蔵菩薩像・取子地蔵尊などが安置されている。平成六年(1994年)に浅草寺境内整備の折に現在地に移築されました。
「台東区:旧石灯籠」2024年9月の写真です。本堂前に、5mもある大きな石灯籠でしたが風雨で劣化し、平成16年(2004)に除去されました。その一部がこれです。
浅草大平和塔浅草寺ホームページより昭和38年(1963)建立。浅草地区の3万人余の戦災殉難者の霊をまつる。台座の銘にはノーべル物理学賞の湯川秀樹博士の直筆「みたまよ、とこしえに、安らかに、われら守らん、世界の平和」。塔上部の「和」は浅草寺中興第24世貫首、清水谷恭順大僧正の筆。年中行事より3月10日 戦災殉難者追悼法会昭和20年(1945)3月10日未明の東京大空襲の被災者追悼の法会。建設趣意書より思い出づる調べも哀し昭和二十年三月九日の夜、B29三百機以上の大空襲により浅草一帯は火の海となる。••••浅草寺史略年表より1945年 昭和20年 3月10日未明の大空襲により炎上。本堂、仁王門、五重塔、輪蔵など烏有に帰す。11月18日.仮本堂落慶。1950年 昭和25年 4月22日、本堂再建勧進のため水戸出開帳が行なわれる(その後、昭和29年まで各地19回にわたる)。1958年 昭和33年 10月17日、新本堂落慶。45日間の記念開帳を営む。1960年 昭和35年 5月1日、雷門落慶。慶応元年の焼失以来95年ぶりの再建となる。1964年 昭和39年 4月1日、宝蔵門(旧仁王門)落慶。30日間の記念開帳を営む。1973年 昭和48年 11月2日、五重塔院落慶。1978年 昭和53年 本尊示現1350年につき、3月17日、18、19・10月15日〜11月15日の間、記念開帳を営む。1983年 昭和58年 3月28日、弁天堂落慶。1987年 昭和62年 33萬巻観音経写経満願。引き続き100萬巻写経運動を行なう(継続中)。1994年 平成6年 本堂西側の境内地整備工事完成する。10月20日、影向堂落慶。慈覚大師円仁さまご生誕1200年を慶し、10月31日〜11月6日まで御前立ご本尊のご開扉が行なわれる。2003年 平成15年 11月19日、駒形堂落慶。2008年 平成20年 本堂落慶50周年を迎え、30日間の記念開帳を営む。2010年 平成22年 12月6日、本堂大営繕円成。2011年 平成23年 9月21日、伝法院庭園が国名勝に指定される。以上参拝日∶2020年9月10日。
近年まで、明治二十五年(一八九二)に石工の酒井亀泉が奉納した燈籠が本堂前に安置されていましたが、これはその一部です。江戸時代後期、亀泉の祖父・栄三は酒癖が悪く、それがもとで失職してしまいます。 栄三の妻は信心していた浅草寺にお参りし、夫の酒癖の悪さの許しを願い、子孫代々酒を断つ旨を誓いました。この家訓を守り、やがて一家は石工として大成。亀泉がその報恩にと浅草寺にこの燈籠二基を奉納したそうです。平成十六年に、経年劣化などによる倒壊のおそれがある為、惜しまれながらも撤去され、ここにその一部を記念として納めました。
穴は小さくて、子供じゃなきゃくぐれないです。
| 名前 |
淡島堂(浅草寺) |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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参拝しました🙏浅草寺の敷地内にあります。