寛永16年建立の美多宝塔。
多宝塔の特徴
寛永16年に建立された美しい朱色の多宝塔です。
県指定の有形文化財として文化的価値が高いです。
蛙股の彫刻がきらびやかで芸術的な魅力を放っています。
元々は江戸時代初期に造営されたようですが、昭和の時代に移築・改造されて現在地にあるようです。多宝塔(たほうとう)は、法華経に由来する仏塔の一種で、下層が方形、上層が円形の独特の建築様式が特徴です。一見二層に見えますが実際は一層で、初層の軒下に裳階(もこし)を持つ構造が一般的で、真言宗系の寺院で多く見られます。内部には釈迦如来と多宝如来を並べて安置し、仏教の教えを象徴する重要な建築物というのが本来のもののようです。この多宝塔は、改造されたのが昭和なので古来そのままということではないようですが、それはそれとして喜多院の代表する建築物といえるかとは思います。
多宝塔(たほうとう)という言葉自体は、こちらの塔の固有名詞では無い様ですね。聞きかじりですが、俯瞰で見て円形の高層と、四角形の低層が組み合わさった形式の塔などを指す様です。しかしながら、その特徴的な外観に朱色が映える佇まいは、多数の建造物で構成される喜多院境内にあっても目を惹くものがありますね。元々は寛永16(1639)年に、境内社である日枝神社と喜多院山門の間(多宝塔古墳群上)に建立されていたそうですが、明治時代に老朽化に伴い大幅な改造を受けつつ移築。その後昭和48(1973)年に現在地に移築するとともに復元工事を受け、現在に至るそうです。中を拝見すると、釈迦如来像と多寶(たほう)如来像が鎮座していました。
喜多院の多宝塔は寛永十六年(1639)に山門と日枝大社の間にある古墳の上に建立されたそうです。その後明治四十三年(1910)に慈惠堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部に移築されたとのこと。ただ、その際大幅に改造されたそうです。その為昭和四十八年(1973)に現在地に移築し解体復元を行なったそうです。高さは13mあるそうです。
小さい江戸初期の建築で良く纏まっているが、江戸建築らしく込み入り過ぎ多宝塔としては特筆すべき物ではないね多宝塔と言えば根来寺の大塔の美しさが基準となってしまうので評価が低くごめんなさいね内部は釈迦・多宝の二佛併坐像だから、法華経の見宝塔品そのものであるこういう点でやはり天台なんだなと実感する。
喜多院の境内にある多宝塔寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立。現在の地に移されたのは、昭和48年(1973)のことになります。総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのります。県指定有形文化財となっています。
県指定の有形文化財。この造形美に引き込まれてしまいそうです。気が付くと長時間経っていました。
寛永16年(1639年)建立、総高13mの多宝塔。県指定有形文化財です。
喜多院 多宝塔埼玉県指定有形文化財(建造物)境内にそびえる朱色の多宝塔寛永16年(1639/江戸時代)に建造され、現在埼玉県の有形文化財に指定されています。この多宝塔は、江戸時代の大工棟梁「平内政信(へいのうち まさのぶ)」が建造。平内政信は、全5巻からなる木割書「匠明」を著した人物で、喜多院多宝塔以外に、和歌浦天満宮(和歌山市)や輪王寺常行堂(日光市)なども建造しています。現在は、本堂の斜め前に建てられている多宝塔ですが、もともとは山門前にある「白山権現」と「日枝神社」の間の古墳上に建てられていました。その後、2度の移築をし現在地にあります。江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れ、境内で一際鮮やかで目を引きます。喜多院を訪れた際は、是非みておきたい建物の1つです。(カワゴエールHPより)
県指定の重要文化財。本堂のすぐ横にあり一見の価値あり。
| 名前 |
多宝塔 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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県指定文化財2024年10月下旬、川越探訪の際に行きました。もともと1639年に北側にある古墳の上に建立→1910年に慈恵堂近くに大幅に改造し移転→再度1973年にこちらに復元し移転と紆余曲折ありなおこちらが喜多院の中で最も目立つ存在でした。