田んぼの中の古代ロマン、城輪柵跡。
城輪柵跡の特徴
田んぼの中に忽然と現れる赤い城門が印象的です。
古代ロマンを感じる国指定の史跡がここにあります。
周囲に高い建物がなく、静かな景色が広がります。
平安時代の出羽国府の場所と推定される遺跡。田んぼの真中に佇んでいます。門や壁の復元がされており、夜はライトアップがされる模様。トイレもあります。
城輪柵跡です。古代出羽国の国府があったと推定されています。よく整備されたキレイで広大な敷地に政庁の門や築地塀の復元がされており、古代に想いを馳せる事ができます。
史跡ですが、無人です。ゆっくり見学出来ます。
出羽國の国府は、出羽柵→秋田城→城輪柵というように移って行った説が有力ですが、現時点では出羽柵がどこにあったか発見されておらず、もしかしたら城輪柵と同じ場所という説もあるそうで、その真偽によってはこの遺跡が何時代からあるか変わってくるようです。(出羽柵は鶴岡市の赤川流域にあったという説もあります)国府が秋田から庄内地方に戻り、城輪柵が国府となった年は判然としないですが、西暦900年頃にはそうなっていたと思われます。ただそれ以前に国府は元々庄内地方から秋田に1回も移ってない説すらある状況。このことからも説明板に書いてある文章も「平安時代の遺跡」とざっくりした説明で歯切れが悪く、山形県も大々的に城輪柵を宣伝できないのかなと思い、心中お察しする次第です。百人一首で有名な小野小町は秋田美人の代名詞ですが、彼女が育った(はず)の頃の秋田は反乱が起きて秋田城が一時占拠されるようなカオスな状態だったはずで、その時の出羽国府は既にここ城輪柵だったとも考えられ、小町が本当に出羽出身だと仮定すると、秋田城に住んでた秋田美人ではなく城輪柵に住んでた庄内美人なんじゃないのという説にも辿り着きます。そもそも生まれも育ちも平安京って説もあるそうで、国府すらどこか確定できていないのに、架空かも知れない人物の出身地なんてよくわからなさすぎるということです。そんな謎の手がかりも眼前の広大な庄内平野のどこかの水田の下に眠っているのかもしれません。
田んぼのなかに城柵が…いにしえの出羽国の中心地とは思えないぐらい田んぼのど真ん中にあります笑。
赤い城門が印象的です。平安時代の史跡。広場のような感じ。眺めも良く、空気がすんでいて気持ちのいい場所でした(^_^)無料で自由見学でき、トイレもありました。
2021年8月12日に見学しました。7世紀末から8世紀前半頃に建設された朝廷官衙だと考えられています。708年に造られた出羽柵ではないかという説もありますが、未だに判明していません。したがって、国府跡ということも断定できません。秋田城に国府が移されるまで、出羽国内では、このきのわ柵が最前線だったことになります。
田圃の中にいきなしガツンと見えます。わかりやすいかと。車も止められます。すごーく古い歴史の遺構なので城跡なんかとは違って見映えがあるわけではありませんが、その当時の地理を学ぶ機会にはなります。
ここは、トイレが使えるのでほぼフリーパーキングと化しています。もしかして冬も使えるのでしょうか? 文化施設なのでそこは控えましょう。
| 名前 |
城輪柵跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0234-24-2994 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/kinowasakuato.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
政庁の跡があり、東門と南門が再現されており、当時の様子が分かる。東門のところにパンフレットがある。整備もされており、歩きやすい。ただ、歴史上に出てこないのか、建物の説明はあるが誰が作ったやどのように使われたなどの説明はない。