古代官衙跡で歴史を感じる。
名生館官衙遺跡の特徴
7世紀後半から9世紀代まで続いた政庁の跡地です。
奈良・平安時代に重要な役所が存在していました。
14世紀の名生城の跡も見られる歴史的な場所です。
今は原っぱです。
古代の官衙があった場所。現在は住宅と田んぼがあり、生活の為の場所です。近所に少し広いスペースが有りました。そこに車を停めさせていただき、少し歩いて見学させていただきました。
7世紀後半に集落が営まれるようになり、政庁が位置を変えながら9世紀代まで造営されました。
2022年8月12日に見学しました。昭和55年1980年に発掘調査が行なわれ、7世紀末の官衙であることが分かりました。軒瓦の花弁形から、多賀城が創建される以前に完成していたことが判明しました。郡山官衙遺跡以北の官衙としては、古い方だと思います。また、出土した土師器が、関東産であることも分かり、入植した柵戸は、関東地方の人々だったことになります。方形の塀の中に品の字の配置に建物が建てられたようです。そして、老朽化すると新しい官衙を少しずつ移転していったことも分かりました。また、少し南側に伏見廃寺跡が発見されています。現在、玉造柵の有力な擬定地として考えられています。
時代は異なるが、奈良・平安時代の名生館官衙(大崎地方を治めていた役所)、そして14世紀の名生城(奥州探題大崎氏)があった所。今は、台地の上に田畑が広がっている。この台地から見える東や南は大崎平野で、その平野が一望できる。だからこそ大昔に役所や城があったのかもしれない。
案内看板はあったが、実情は見えなかった。
7世紀末~平安時代の玉造郡内の中心的な官衙跡である。大崎平野の北西部にあり、標高40mで、周辺との比高10mほどの台地上に立地している。遺跡の範囲は南北1,100m、東西700mである。中世奥州探題大崎氏の「名生城」としても著名である。昭和55年からの継続的な発掘調査の結果、城内地区では多賀城より古い7世紀末頃の、四面庇付瓦葺の建物を中心とする官衙中枢部が発見され、それまでの通説に反し、多賀城創建前大崎地方に律令政府の支配が及んでいたことが明らかになった。また、小館地区ではこれより新しい回廊で周囲を区画した、施設跡が発見されている。なお、南1.2kmには付属寺院とみられる伏見廃寺跡がある。
ただ、原っぱが広がる。中に説明板が設置してある。
| 名前 |
名生館官衙遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0229-72-5036 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/kuni-siseki25.html |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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名生館跡になります。畑の中にポツンと説明板って感じで、見学してると若干の不審者感が漂ってしまいそう。