伊達政宗の歴史が息づく。
満海上人供養塔の特徴
伊達政宗埋葬地の歴史的な重要性を実感できるスポットです。
地中から出土した鍚杖や数珠に対する興味が尽きません。
戦災で失われた供養碑の歴史に触れる貴重な体験ができます。
スポンサードリンク
供養碑は戦災により失われました。
| 名前 |
満海上人供養塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
記録によると伊達政宗埋葬の際、地中より石室が現れ内部から鍚杖、数珠などが見つかったとされます。造営奉行の奥山大学常良が土地の古老に尋ねたところ、それは万海上人の墓だといいます。万海上人は一説によれば神通力を持った高徳の僧で、万部の経を塚に納め、死後経ヶ峯に葬られたとされています。この万海上人が隻眼(片目)であったことや政宗誕生時の逸話などから、政宗はこの万海上人の生まれ変わりと信じられるようになりました。人々は政宗が万海上人と同じ場所に葬られることになった因縁を意味深く思ったといいます。瑞鳳殿本殿の東側に「万海上人塔」があったとされますが、昭和20年(1945)の戦災と、その後の荒廃によりその石碑は失われました。現在の供養碑は平成元年(1989)に建立されました。