急な階段を上がる神社探訪。
尾治針名真若比咩神社の特徴
自然に囲まれた森の中にある神社で、階段が狭く急勾配です。
式内社としての歴史を持つ尾治針名眞若比女神社、貴重な文化財です。
参拝の際は手すりの設置が必須、急な山道に注意が必要です。
2025.7.5岡山市北区津島本町に鎮座する小さな神社。式内社。明誠学院高校の裏手(北側)に位置していて、奥まった場所に佇むお宮。駐車場がないため、徒歩での参拝となります。上り口には、遥拝所を設けています。拝殿・本殿ともにこじんまりとしています。小さなお宮ですが、境内は良く整備されていました。
とにかく勾配がキツイ細い道を登る必要があります。自動車での参拝は難しそうです。社務所も見当たらないですが1月3日の参拝時にはおみくじと御札はありました。平日に2度参拝させて頂いた時には御札もおみくじもありませんでした。ですがキチンと手入れされて大切にされている神社のようでした。
延喜式内社だが近世所在不明となっていたものを北方の御崎宮境内に再興し、その社をさらに現在地にあった天神社(天津神社)社殿に遷し往古の社名に改称したもの。名称については鎮座地の半田山(針田山)や近隣の尾針神社、愛知県の尾張連(伊福部はその支族)との関連を示す説がある。2017年頃社殿を一新したが、これも仮殿で地元では今後立派な社殿一式を建てたいとのこと。鳥居の前にはご丁寧に遥拝所まである。
かなり急な階段や坂、山道?の奥にあります。境内からは街が見渡せ、地域を守ってくださっているんだな、とありがたい気持ちになります。
津島地域の守り神。
階段が急なので、手すりをつけていただいていますが危ないです。また、手前の古墳への入り口は看板が倒れており、わかりにくいです。藪蚊に刺されて大変でしたが、神秘的な空間でした。本殿近くでは写真など撮る気になれませんでした。
氏神様ですが、山の中にあるのであまり参拝していません。すんません。
式内社 備前國御野郡 尾治針名眞若比女神社 の後継社御祭神 尾治針名眞若比女咩命(おじはりなまわかひめじんじゃ)寛延期に大守氏を中心とした式内社の再興運動があり、尾治針名眞若比女神社が北方村四日市の御崎宮の社地に社をつくつて祀られるようになった。当地には天津神社があったが、明治8年、この天津神社のあった地に移され、天津神社は境内の末社となったという。
備前国総社宮128社の一つです 昨年に本殿拝殿その他を改修されたようです 階段の下に軽自動車が1台停められそうです 私は少し離れた所から歩いて参拝させて頂きました 宮司さんは本務社は白髭宮になります 先日御札をわけて頂きました。
| 名前 |
尾治針名真若比咩神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
086-241-0967 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-okayama2/jsearch3okayama.php?jinjya=27957 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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尾治針名眞若比女咩神社(おじはりなまわかひめじんじゃ)。岡山県岡山市北区津島西坂。式内社(小)、旧村社。【祭神】尾治針名眞若比女咩命資料によると、当社の社号「尾治針名眞若比女咩」の読み方は、「おじはりなまわかひめ」だが、「おはりはりなまわかひめ」とする資料もある。式内社・尾治針名眞若比女神社の論社の一つ。というよりも、尾治針名眞若比女神社の後継社である。かつては、御崎宮の地に尾治針名眞若比女神社は祀られており、当地には、天津神社があったが、明治以降のいつからか、この場所に尾治針名眞若比女神社が移され、天津神社は境内の末社となったという。移された理由は不明だが、御崎宮の地に祀られることに疑問を呈する資料もあり、御崎宮に祀られる以前の古社地を探した結果かもしれない。当社は、「備前国神名帳」記載の「従四位下 尾張針田明神」と考えられるが、当社のある半田山の「半田」は「針田」からの訛とする資料もある。半田山と、その西にある烏山との間の稜線の鞍部には、都月古墳などもあり、当地が古代の祭祀の場であってもおかしくはない。当社はその社名から尾張氏との関係が示唆されているが、付近には同じく尾張氏ゆかりの式内社・尾針神社が鎮座することからもうかがえる。これに関して、尾張氏が尾張から西遷したとする説や、逆に吉備から尾張へ尾張氏が東遷していったという説がある。とあります。