南部藩士祀る、歴史感じるカフェ。
南部藩士の墓地の特徴
津軽藩士である12人が祀られた特別な墓地です。
カフェモーリエの近くに位置し訪れやすい場所です。
歴史的な背景を感じられる静かな空間が魅力です。
派遣先で亡くなられた12人の南部藩士が祀られているそうです。
カフェモーリエさんへの入り口横にありました。外国人墓地なので外国人が弔われているものばかりかと勝手に思っていたのですが、南部藩士の墓もありました。江戸末期、蝦夷の警備をしてきた南部藩の隊士が明治維新後もこの地に残ったようで、その間に病や事故などで亡くなった方を弔うお墓のようです。
| 名前 |
南部藩士の墓地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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寛政11年(1799年)、幕府は東蝦夷地を直轄地(5年後には西蝦夷地も)としてその経営に乗り出し、 蝦夷地の警備を南部・ 津軽の両藩に命じた。両藩はそれぞれ500名ほどの藩士を派遣して警備に当たることとなった。 南部藩は元陣屋を箱館に置き、 根室、 国後、択捉 に勤番所を設け、 その任に就いた。 その後、 文政4年(1821年) に蝦夷地は松前藩に返還されたため、両藩士たちはそれぞれ 帰藩したが、 安政元年(1854年) に再び蝦夷地が幕府の直轄地となると、 再び東北の諸藩に蝦夷地の警備と開拓が命じられ た。 南部藩は箱館から幌別 (現登別市)までを担当、 600余名が勤務していた。しかし、幕府が倒され明治新政府が誕生すると、 箱館に箱館府が置かれて蝦夷地の経営を担当することとなり、 東北諸藩 の蝦夷地詰の人々は帰藩していった。この間、多くの南部藩士が事故や病気で異郷の地に倒れた。 函館で弔われた人については明治39年(1906年)から盛岡出 身の有志で慰霊を続けてきたが、 墓石や碑が散在し荒廃していくのを憂い、 昭和12年(1937年) にこの地に集めたものである。 現在、この墓地には、 12名の藩士が祀られている。