ピーヤの思い出、長生炭鉱の遺構。
長生炭鉱(ピーヤ)跡地の特徴
戦争中の悲劇を語る長生炭鉱跡地です。
水の底に眠る183人の遺骨の思いを感じます。
国による早期の遺骨収集を願う歴史的な場所です。
海面から出ている2本のコンクリート柱は「ピーヤ」と呼ばれる長生炭鉱の遺構で、坑道に繋がる排気・排水口の役割を担っていたもの。他の炭鉱では使われていない用語で、英語の「pier」(桟橋、橋脚、柱の意)が名前の由来と言われています。1932年、西岐波地区にあった海底炭鉱「長生炭鉱」の坑道天盤が崩落し、海水が流入、坑内にいた炭鉱労働者183名が生き埋めになりました。1991年に発足した「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が坑内からの遺骨収容に取り組んでおられます。
水の底に眠る183人が、故郷に帰れますように。
戦争中の悲劇の場所です。未だに朝鮮半島出身者と日本人合わせて1600人以上の遺骨が収容されていません。忘れ置き去りにされた炭鉱跡です。
国による早期の遺骨収集を願う。
| 名前 |
長生炭鉱(ピーヤ)跡地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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親戚がこの近くに住んでいたこともあり海岸からピーヤを見ていた 50年前子供の頃の記憶があります 私の祖父は長生炭鉱で働いていたらしい 宇部線の周りに社宅の長屋があったのを思い出しました‼️