今治綿業の父、矢野七三郎像。
矢野七三郎像の特徴
矢野七三郎は今治綿業の父と称され、地元に敬愛される存在です。
今治タオルの織物地帯を築いた偉業を称える像が佇んでいます。
知らなかった偉人の功績を実感できる、意義深いスポットです。
今治錦業の創始者であり、今治を今治タオルを代表とする織物地帯にした矢野七三郎の功績を称える像。
「今治市:矢野七三郎像」2024年11月にバイクツーリングで立ち寄りました。正直ここに来るまでこの人物のことを知りませんでした。詳細が石碑に書いてありました。一部を要約します。大変な努力家で、しかもこれだけの偉業を35歳で凶刃に倒れるまでに成し遂げています。凄いことだと思います。矢野七三郎(1855~1889)享年35歳伊予ネルの創始者。今治市出身。今治では江戸時代、綿の栽培が盛んで、白木綿が全国で売られていたが、明治に入ると、関西地方の安くて質の良い製品に押され、さらに外国からの輸入によって白木綿は売れなくなった。七三郎は、家業の海運業や酒造業に携わっていたが、今治特産の白木綿の衰微を憂い、家業を弟に譲って白木綿の生産に従事して新しい織物の方向を探求し、紀州ネル(平織紀州ネル〔平織りの両毛ネル〕)に着目した。明治18(1885)年、同志3名と和歌山へ赴き、ネル工場で働いて製綿技術を学び、翌年1月、再度単身で現地へ行って製織技術を研究して紀州ネルを改良した「伊予ネル」という新製品を生み出した。そして染色、毛掻き職人を各2名雇い、機械8台を購入して帰郷し、同年3月、今治に綿ネル工場を建設して製織を開始した。工場の完成直前に、暴風雨で倒壊するという不運もあったが、これに屈せず努力し、伊予ネルは次第に認められるようになった。七三郎は、伊予ネルの製造技術を周囲の人々に惜しまずに教えて奨励したため、今治地域に織物産業が定着する契機となった。明治22(1889)年、凶刃に倒れ、非業の死を遂げた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【2023年11月】
2022/7/24来訪。「首倡功」と書かれた台座の上に立っています。足下には矢野七三郎について書かれています。伊予ネルの創始者。野間郡宮脇村(現、今治市大西町)出身。
矢野七三郎氏は、実業家であり、今治綿業の父と呼ばれています。この方が考案した「伊予フランネル」の質が高く、他の人々にも製造技術を公開し、今治タオルの礎を築きました。偉人です。
| 名前 |
矢野七三郎像 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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(やの しちさぶろう)「今治綿業の父」と称される地元の偉人銅像を見るまでは知らなかった人ですが調べてみると立派な方、銅像になるのもわかる。