吉香公園に勇壮な騎馬像!
吉川広家公像の特徴
初代藩主・吉川広家の銅像は近代的で勇ましい印象です。
騎馬像が特にかっこよく、訪れる人々を魅了します。
戦国時代の武将として活躍した歴史的な存在感があります。
周防国岩国領初代領主関ケ原の戦いで負けましたが岩国を本拠として繁栄させています観光で訪問 良い国です。
吉香公園内にある吉川広家公の像になります。騎乗した立派な姿でカッコイイですね。
岩国城初代藩主。槍の名手で名を挙げた。
初代岩国領主 吉川広家の像です。岩国の開発に力をそそいで城下町をつくり、現在の岩国市の基礎を築いた広家ですが、なぜか、令和5年(2023年)になるまで銅像がなかったそうです。できたばかりなので、ピカピカです。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに際し、毛利家が組みする西軍に勝ち目はないと案じた広家は、毛利家の所領安堵と家の存続のため、徳川家康の東軍と密約を交わしました。密約の内容は、毛利軍は兵を動かさない、その見返りに毛利の所領は安堵してほしいと。密約通り、毛利軍の兵は動かず。しかしながら、家康は毛利家の所領を周防と長門に削封し、吉川家は岩国の地を与えられました。
初代岩国領主である吉川広家の銅像です。山口県岩国市にある吉香公園内にあります。とても真新しく2023年に出来たばかり。岩国の地を治め現在の岩国の基礎を築いた功績をたたえようと有志の募金により建てられたそうです。騎馬に乗り甲冑姿で勇ましい銅像ですね。吉川広家は毛利家の有名な逸話「三矢の訓」の三兄弟の一人 吉川元春の三男で、家督を継いで毛利宗家を支える重臣でしたが、関ヶ原の戦いでは東軍優位と見て早々に徳川家康に内通し、西軍総大将・毛利輝元の軍勢を率いた毛利秀元の出撃を「兵卒に兵糧を食させている」等とのらりくらりと阻止し「宰相殿の空弁当」と言われる時間稼ぎを行った。そのため、西軍が形勢不利となり秀吉一族の小早川秀秋が東軍に寝返ったことが決定打になり東軍が大勝し、結果的に毛利宗家を支える両川だった「吉川・小早川」の阿吽の呼吸で勝負を決めたとも言えなくもないかも。戦後は徳川家康に功績を評価され、毛利宗家をつぶして大名に取り立てられそうになりますが、あくまでも毛利宗家の存続を嘆願して承認されました。主君を裏切ってまで毛利家の滅亡を救った立役者ですが、周防・長門2か国に減封された毛利家の支藩とは認められず、毛利家家臣の岩国領主とされました。ただ幕府からは大名としての待遇を受けるという、かなり微妙な立場だったようです。訪問時期:2024年9月。
むちゃくちゃ近代的な勇ましいかっこいい像だなと思ったら新しかったです。
初代岩国領主で戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将です。
騎馬像はカッコいい!近くに佐々木小次郎の銅像もあります。
| 名前 |
吉川広家公像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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岩国藩の基礎を築かれた初代藩主、吉川広家公の像は、吉香公園内に勇壮な騎馬像として建立されています。力強い存在感でした。