井於神社で子供と遊ぼう。
井於神社の特徴
平安時代から続く由緒ある神社で、地域の皆に親しまれています。
拝殿や能舞台がある、落ち着きのある静かな空間が魅力です。
夏と秋には子供向けのお祭りが開催され、近所の子供が遊びに来る温かい場所です。
由緒有る神社です。神社のそばに駐車場は有りますが、細い道を通る事になるので、参拝はJR千里丘駅から徒歩で行かれるのが良いかと思います。参拝時には、他に人もおらず静かにお参り出来ました。
子供と散歩で。ご挨拶ご挨拶。雰囲気の良い神社。
2023/01/01初詣で伺いました。やはり日付が変わるときにお詣りする人が多くて、2列に並んで表の門の外までの行列ができていました。無料でふるまい酒がいただけます。
初詣に行くには、やはり宮司さんがいる神社が良いですね。昔からの村中の神社で古くからの由来が有るそうです。公式ホームページの由来を記載させて頂きます。井於神社の創建年代は明らかでありませんが、平安初期、延長五年(西歴927年)に編纂された延喜式神名帳に「ヰノヘノ神社」と記載されていることから、千余年以上の昔に御鎮座されました。当社は元々三宅村宇野辺に鎮座し、「井於連」が氏神として崇敬した井の神(水・泉の神)で、三宅郷の田畑の灌漑用水を守らせ給う神として、篤い信仰が捧げられておりました。その昔、雨が降らず干魃になると氏子の若衆が藁で龍を作り、雨乞いの祈願を行なった後、龍を担いで村中を練り歩き、池中に投じることで水の神の恩恵に感謝していたと伝えられています。当社が現在の場所(茨木市蔵垣内)に遷座されたのは、享徳年中(1452~1454年)のことであり、永正年中(1504~1520年)に三宅城城主・三宅出羽守国村公により、天児屋根命が勧請され当社の相殿におまつりされたとあります。又、素盞鳴命を祀るようになったのは、織田信長の頃、社が兵火で焼かれるのを免れるために、信長公が崇敬しておりました素盞鳴命をおまつりしたと伝えられ、その後当社の祭神とし、勧請されました。江戸時代には、主祭神、相殿(二座)の三座の大神様を合わせて「三所明神」と称されていました。明治5年には郷社に列し、同43年9月28日、宇野辺の八幡神社、鶴野の皇大神社、丑寅の皇大神社が境内に合祀され、今日まで三宅の郷の産土神として、御鎮座されております。また、親しみを込め「三宅神社」と称されることもあり、篤い信仰を集めております神社の横に駐車場も有りますが、村中で細い道ばかりで歩いて行く方が良いと思います。
平安時代からの由緒有る神社です。気品があり静かな心が癒されます。
大きな境内の神社。
子供の遊び場。落ち着く場所。
コロナで 静かにお正月を過ごそうということで、改めて地元の 氏神さまを 検索して 初めて行った。40年千里丘辺りで住んでいたけれど 知らなかった神社で近所の方々 沢山 お参りに来られていた。今年は コロナ終息の願いを込めて お札を買って神棚に…。
自転車で行きましたが、迷いました…ですが、とても親切な神社だと思います。祀られてる神様のお名前をわかるようにして頂けると、初心者としてはありがたいです。今回のコロナでの神棚拝詩もプリントして下さってました。ありがとうございます。
| 名前 |
井於神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
072-622-8689 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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井於神社(いおじんじゃ)。大阪府茨木市蔵垣内。式内社(小)、旧郷社。主祭神:建速素盞嗚命 天児屋根命 菅原道真【関係氏族】井於連(いのへのむらじ)資料によると、創建の年代は詳かでないが、井於連が氏神として崇敬した社ではないかと思われる。井於は井の辺と訓み、井のほとりという意味であつて、古代人の生活に欠くことの出来ない水源の井は重要なものである。そこでここはもと素朴な農業神である水の神を祭つていたのではないかと推察される。井於神社は、享徳年中(1452-54)もと宇野辺村から現在地(三宅村大字)藏垣内に遷座した。旧鎮座地名・宇野辺(ウノベ)とは、当社名・井於(イノベ)が訛ったものというが、宇野辺がどの辺りにあったかは不明。永正年中(1504年 - 1520年)に天児屋根命を三宅出羽守が勧請。明治5年(1872年)に郷社に列す。明治40年(1907年)神饌幣帛料供進社に指定される。明治43年(1910年)9月、宇野辺堂の前の八幡神社、丑寅の後同皇大神社、鶴野の西川皇大神社と小社水神社を合祀。とあります。