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| 名前 |
御油宿本陣跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
現在は民間企業の物理拠点2024年5月上旬、赤坂宿\u0026御油宿探訪の際に寄りました。現在は説明板が設置してあるのみで、当時の面影はありません。説明板には————————————————————御油宿御油宿は、江戸時代に徳川家康によって整備された江戸日本橋から京都三条大橋を結ぶ東海道の三五番目の宿場です。次の赤坂宿とは御油のマツ並木(国指定天然記念物)を挟んで、わずか一六町(約一・七 km)と東海道の宿駅間では最も短い距離です。当初、両宿で一宿分の役割を果たしていた時期もあったようです。天保一四(一八四三)年頃の御油宿の家数は三ー六軒で、本陣が二軒(元は四軒あったが、うち二軒は天保四年の火事で焼失)、脇本陣はなく、旅籠屋は六二軒でした。この場所は、本陣鈴木半左衛門家跡地です。本陣とは、参勤交代の諸大名をはじめ、宮家・公家・幕府役人などが宿泊する施設であり、原則として門・玄関及び上段の間を備えるなど、庶民が利用する旅籠屋とは異なっていました。———————————————————-とあり現在の利用状況からするとこちらの本陣も間口広く大きな建造物だったと思います。