荘内大服部村仁兵衛の墓へ。
荘内大服部村百姓仁兵衛墓の特徴
下横戸共同墓地内にある、荘内大服部村百姓仁兵衛墓の魅力があります。
静かな雰囲気の中で手を合わせることができ、心を落ち着けられます。
地元民が訪れ、お供えし感謝の気持ちを表しています。
ここ下横戸共同墓地内に9基の墓石が並び、左から2基目に『荘内大服部村百姓仁兵衛墓』と刻まれた墓石が建っています。『荘内』は『庄内』の誤字、『大服部村』は現在の『山形県飽海郡遊佐町』、『仁兵衛』は天保期の『天保普請』で動員され、57歳で病死した庄内人夫です。天保普請は、天保14(1843)年6月に老中・水野忠邦から沼津・庄内・鳥取・貝淵(千葉県木更津市)・秋月(福岡県甘木市)の5藩に『お手伝い普請』が命じられ、天保期の『印旛沼掘割普請』として行われました。老中・水野忠邦は、増加する外国船との接触やアヘン戦争などに国防上の危機感を抱き、外国船による東京湾口封鎖に備えて、利根川から印旛沼・東京湾に至る江戸への物資供給ルートを確保しようと考えたことが普請を命じた理由とされます。アプローチ路狭いですが墓地南西側の僅かなスペースに駐車しました。
| 名前 |
荘内大服部村百姓仁兵衛墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
地元民として感謝と共に線香とお供えして来ました。